松平定吉
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松平定吉供養のために築かれた遠江塚(静岡県掛川市下俣)[1]
松平 定吉(まつだいら さだよし、1585年(天正13年) - 1603年12月13日(慶長8年11月11日))は安土桃山時代の武将。遠江国掛川藩の世嗣。
松平定勝の長男。母は奥平貞友の娘(たつ、二之丸殿)。徳川家康は伯父にあたる。官名は従五位下、遠江守。定友とも名乗る。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで伯父・家康に従う。翌年、従五位下遠江守に叙任。同8年(1603年)、家康の面前で鷺を射落としたが、家康に「無駄な殺生」だと叱責され、それを恥じて掛川にて自害した。享年19。自照院殿と贈られ、掛川真如寺に葬られた。代わって、弟の定行が嫡子となった。
文政11年(1828年)、稚国玉命(わかくにだまのみこと)と神号を贈られ、社号を豊坂神社といい、松山城がある勝山山麓の東雲神社内に勧請され祀られた。
定吉を扱った文芸作品が存在し、田宮虎彦の『鷺』などが有名である。