松山陣屋

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東松山市役所敷地内に立つ、松山陣屋跡の石碑。

松山陣屋(まつやまじんや)は、武蔵国比企郡松山町(現在の埼玉県東松山市)にあった前橋藩陣屋である。東松山市指定史跡。

概要

幕末川越藩主であった松平直克前橋城に移封となり、その際に川越藩時代の石高をもって前橋藩を立藩したため、比企郡高麗郡入間郡埼玉郡周辺の6万石余の領地が前橋藩から見て飛び地になることから、この地域の統治を行う目的として慶応3年(1867年)に建設された。ちなみに川越藩時代には前橋周辺を統治する川越藩の前橋陣屋が前橋城内に設けられていた。

構造

周りを土塁と城塀、更にその外側をで固めた陣屋としてはかなり大規模なもので、敷地は約87,000m²に及び国内でも最大規模だったといわれる。陣屋というよりは前橋城の支城としての性格が強かったと推測される。しかし幕末に設置された事もあり、わずか5年で廃藩置県を迎え、その役目を終えたとされる。敷地は、現在の松葉町1丁目全域に当たるほぼ正方形に広がっており、東松山市役所、松山第一小学校を中心に、その南側の旧小川街道がある材木町の武蔵野銀行の所から八幡神社の所までが該当する。この旧小川街道の北側に沿って馬水場があった。

武蔵野銀行があるあたりに広小路と呼ばれる広場があり、お堀を渡った大手門の先には、現在の総合会館のあたりに御殿、市役所のあたりに奉行所があった。その西側には町奉行家老、遊隊、小遊隊、勘定奉行、目付、銃隊の屋敷が配置されていたほか、西端の八幡神社のあたりが出曲輪となっており、ここに鉄砲場が設けられていた。また、旧小川街道の南側には足軽の長屋が広がっていた。

明治以降は御殿を中心に役所として使われたものの、現在ではほとんどその遺構は残されていないが、東松山市役所の一角に「前橋藩 松山陣屋跡」と書かれた石碑と案内板が設置されている。

関連項目

外部リンク

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