東瀬耕太郎
テンプレート:Infobox baseball player 東瀬 耕太郎(あずせ こうたろう、1967年5月6日 - )は、熊本県熊本市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
帯山中学校2年生の時に全国中学軟式野球大会で優勝[1]。当時の3年生に松崎秀昭(元南海)と御船英之(元ダイエー、広島、近鉄)がいる。九州学院高校では2年夏の全国高等学校野球選手権熊本大会準々決勝で、あと一人の場面でノーヒットノーランを逃す。3年時は肘の故障で満足に投げられず野手として出場が多い。夏の全国高等学校野球選手権熊本大会では熊本西高校に決勝で敗れ準優勝[1]。その年の熊本県には遠山奬志、野田浩司と好投手が揃っていた。尚、学校では部活をしている生徒に珍しく、英語コースに3年間所属していた。
明治大学では3年春からリーグ戦に登板するも主戦ではなかった。4年生の春に大きく飛躍し、145キロを超すストレートでプロの注目を浴びる[1]。大学通算は7勝5敗、防御率3.62の成績ながら、4年からの成績が評価される[1]。卒業後は野球部のない一般企業、安田信託銀行への就職が内定していたが、これは父親が京都大学法学部卒業でもあり、厳格な家庭で育った為、野球は大学までと決めていたからである。
しかしテンプレート:Byのドラフト会議にて横浜大洋ホエールズが2位で指名。当然ながら交渉は難航したが、翌テンプレート:Byの1月にようやく入団が発表された[1]。その際の契約では将来はビジネスに携わりたいとの希望で、野球引退後に親会社勤務(マルハ)の契約内容を結んでいた(広島移籍時に選択を迫られ破棄する)。この時の経験が現在のビジネスに大きな影響を与えていると本人は話している。
入団後、左の先発として期待されたが3年目からリリーフに転向。テンプレート:Byシーズン序盤の登板過多により肩を故障、それから失速した。テンプレート:Byシーズン開幕2日前に永野吉成とのトレードで千葉ロッテマリーンズに移籍。テンプレート:Byオフに自由契約となる。
その後テンプレート:Byに広島東洋カープに移籍。6月後半から37試合に登板する活躍をする。しかし翌テンプレート:By自由契約となり、同年オフに大学の先輩である星野仙一監督のいる中日ドラゴンズへ移籍した。
テンプレート:Byオフ、門倉健、古池拓一とともに小池秀郎、佐野重樹、善村一仁との交換トレードで5球団目となる大阪近鉄バファローズへ移籍。テンプレート:By限りで現役引退。現役11年間で5球団も移籍した、当時では珍しい日本型「ジャーニーマン」である。これは左投手で変則フォームで速球に力があった為。
引退時にメジャーより、翌年のスプリングキャンプ招待の話があったが本人は固辞。「力も勿論だが、肘にネズミがあるため、もうまともに投げられないから。」と話しているが、マイナー契約であれば手術込みの契約条件だった。
引退後、東京都内の商社勤務を経て独立。現在は主にスポーツマネジメント業務を行う。野球がメインで、日本のプロ野球選手やメジャーリーグの選手をクライアントに持つ。これまで数多くの契約交渉や、FA移籍案件のコンサルティングを行ってきている。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 大洋 | 10 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | -- | .250 | 149 | 35.0 | 25 | 3 | 22 | 2 | 1 | 34 | 1 | 1 | 19 | 16 | 4.11 | 1.34 |
テンプレート:By2 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 71 | 16.0 | 17 | 1 | 11 | 1 | 0 | 15 | 0 | 1 | 7 | 6 | 3.38 | 1.75 | |
テンプレート:By2 | 24 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 121 | 26.1 | 20 | 6 | 24 | 1 | 2 | 19 | 1 | 0 | 18 | 18 | 6.15 | 1.67 | |
テンプレート:By2 | ロッテ | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 54 | 11.0 | 15 | 0 | 8 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 6 | 6 | 4.91 | 2.09 |
テンプレート:By2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 6 | 2.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.50 | |
テンプレート:By2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 19 | 3.1 | 7 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 10.80 | 3.00 | |
テンプレート:By2 | 広島 | 37 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 113 | 25.2 | 21 | 2 | 11 | 0 | 6 | 17 | 1 | 1 | 17 | 15 | 5.26 | 1.25 |
テンプレート:By2 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 29 | 6.0 | 7 | 0 | 2 | 0 | 2 | 5 | 1 | 0 | 5 | 4 | 6.00 | 1.50 | |
テンプレート:By2 | 中日 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 4 | 0.2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 3.00 |
テンプレート:By2 | 近鉄 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 36 | 6.0 | 4 | 0 | 12 | 0 | 2 | 6 | 3 | 0 | 4 | 4 | 6.00 | 2.67 |
通算:10年 | 116 | 11 | 0 | 0 | 0 | 2 | 7 | 0 | -- | .222 | 602 | 132.0 | 118 | 14 | 94 | 4 | 14 | 105 | 8 | 3 | 80 | 73 | 4.98 | 1.61 |
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記録
- 初登板:1990年8月8日、対読売ジャイアンツ22回戦(東京ドーム)、8回裏に4番手として救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に西岡良洋から
- 初先発:1990年9月10日、対広島東洋カープ23回戦(広島市民球場)、5回2失点
- 初勝利・初先発勝利:1990年10月10日、対ヤクルトスワローズ26回戦(横浜スタジアム)、6回2失点
背番号
- 12 (1990年 - 1992年)
- 47 (1993年 - 1996年)
- 39 (1997年 - 1998年)
- 52 (1999年)
- 62 (2000年)