末広まきこ

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テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:政治家末広 まきこ(すえひろ まきこ、1944年10月3日 - )は、タレント、元ラジオ司会者、元参議院議員。末広 真季子末広 真樹子(本名)とも。

来歴

大阪府大阪市出身。父は画家の末広元信。大阪教育大学附属高等学校池田校舎同志社大学文学部英文学科卒業。「セクシーボイスコンテスト」で優勝後、ラジオDJやコメンテーターとして主に関西や名古屋ローカルで活躍。

1967年(昭和42年)、『仮面の忍者赤影』(関西テレビ、東映京都)でくノ一「人むかでの矢尻」役で出演したのが、映像作品デビュー。これは、末広のラジオ番組を撮影現場で聞いていた「赤影」役の坂口祐三郎やスタッフが、末広のプロフィール紹介に興味を持ち、出演依頼してのものだった。現場に現れた末広の脚が綺麗だったので脚を見せようということになり、スタッフが網タイツにミニのくノ一衣装を用意。末広も面白がって演じたという[1]

これを皮切りに、『ワイドサタデー』(朝日放送)、『花の新婚!カンピューター作戦』(関西テレビ)、『MBSそれゆけ!』(毎日放送)、『あなたの土曜日・真季子と共に』(東海ラジオ)など数々のテレビ番組に出演。また女優としても『おはようさん』、『心はいつもラムネ色』、『純ちゃんの応援歌』などのNHK大阪放送局の連続テレビ小説にたびたび出演する。

参議院議員として

1994年新間正次が経歴詐称による当選無効となり、補欠選挙が実施されると末広は生活者密着を売りに出馬するが落選する。この直後から末広は愛知万博に対し、反対を明言する。

1995年7月の第17回参議院議員選挙愛知県選挙区で、“無党派”と“「海上の森(かいしょのもり)」の自然を破壊する愛知万博反対”を掲げて当選するが、その2年前(1993年)に行われた第40回衆議院議員総選挙で野党に転落後、自社さ連立政権という形で与党となっていた自由民主党が、議席増大を狙い無党派議員の取り込みを展開する。その結果、末広は1997年末に万博推進の自由民主党に入党、記者会見で「私には後援会という組織はない。全部、私一人が36万票いただいたわけですから。どこへ持っていくかは私が決めること」「自分の力で環境保護の万博に出来るなら、むしろ推進すべき」と述べた。

これに対し、元支援者や万博反対派は「公約違反の末広まきこを辞めさせる会」を結成し、辞職を求めて署名活動を行った(元支援者の誰一人として、自民入党は事前に相談されなかったという)。選挙当時の後援会長らは1998年6月、“公約違反の変節で、精神的苦痛を受けた”として名古屋地裁に提訴したが、2000年8月に棄却された(2001年1月、名古屋高裁で控訴棄却)。「海上の森」には万博反対派によって買い取られた木があり、末広もその一本を買い自分の名札を付けた。末広は自民党に入党すると当然取り外したが、これがかえって注目を集めてしまい、「末広まき子が名札をはずした木」と書かれることになった。なお、末広は「海上の森での万博に反対したのであって、公約違反はしていない」と後々まで反論、さらには「公約通り自然との共生を実現しました」「海上の森も残しました」と、万博会場の変更に自らが尽力したともとれるコメントを残している[1]。万博のメイン会場が「海上の森」から愛知青少年公園(現在 愛・地球博記念公園)に変更されたのは末広の自民党入党より2年以上後の2000年9月であるが、その決定に末広が積極的に働きかけた形跡は見あたらない。

自民党内でも末広の不人気を持てあまし、愛知県連は「党のイメージダウンになる」として所属を認めなかった。中央では参院の実力者・村上正邦が初代会長を務めた派閥・志帥会に所属したが、2001年5月に当時人気のあった党総裁・小泉純一郎(首相)が参院選候補者の派閥離脱を打ち出すと真っ先に呼応して同会を離脱し、「無派閥」を強調。地元の反対などから比例区に転出した同年7月の参院選では、“田中眞紀子と同じ「まきこ」「浪速のまきこ」”と連呼したものの落選。

天むす

現在は、地元である大阪にて天むすメーカーの「天むす・すえひろ」を経営(1986年設立、のち全国展開)。近畿関東へ店舗展開しているが、未だ東海地方への出店は無い[2]

脚注

  1. 『赤影大辞典』(たちばな出版)
  2. 天むす・すえひろ お求め先

外部リンク

個人HPなし