日勝峠
テンプレート:Mapplotテンプレート:Ja Route Sign 日勝峠(にっしょうとうげ)とは、北海道沙流郡日高町と上川郡清水町の間にある峠である。日高山脈北部にあり、標高1,023m。日高国と十勝国との間にあることから命名された。峠の東側は十勝川水系、西側は沙流川水系である。日高山脈の分水界であるが、両水系とも水は太平洋に注ぐ。
概要
テンプレート:出典の明記 道央と道東を結ぶメインルートである国道274号の途中に位置する。天候がよければ、清水側にある展望台や頂上付近から十勝平野の雄大な眺望が楽しめるが、夏季は濃霧、冬季間は路面凍結や吹雪による視界不良と、一年を通して悪条件となる場合が多く、重大事故の発生も多い。北海道内での日本海側・太平洋側の気候区分線に位置し、季節問わず雨雲の発生箇所となる。1,000m級の標高とはいえ森林限界に達し、気象条件としては長野・群馬県境の渋峠(標高2,172m)クラスに匹敵するうえに、多くの大型車が昼夜を問わず通行する産業道路であるため圧雪アイスバーンが形成されやすく、路面状況も含めると国内でもトップクラスの厳しい峠となっている。並行する道東自動車道の開通前は1日の通行台数が約8,000台であったが、開通後は減少傾向にある。
峠を挟んで清水側と日高側では線形や印象が大きく異なる。清水側は十勝平野から急勾配と急曲線で一気に駆け上がるのに対し、日高側は沙流川の深い沢伝いに高度を上げていく線形である。峠としての路線延長は清水側の方が短く、地形的にも自由度が高かったため改良整備が先行し、展望台付近と石山トンネルから上を除くほぼ全線で登坂車線の整備が完了している。現在は日高側で新トンネル掘削によるルート切替といった局部改良が行われている。
急曲線や急勾配が連続する線形ながら幅員が広いため車両の平均速度が高く、夏冬問わず高速で流れていることが多く、運転に慣れない初心者や北海道外からのドライバーは恐怖感を抱くことすらある。頂上から清水側に掛けては濃霧や吹雪による視界不良への改善策として、路側に緑色発光灯が整備されているほか、ブレーキ故障車に備えた緊急待避所が設置されている[1]。
峠道としては周辺地域の経済的規模・依存度から考えると国内でも重要度の高い峠といえるが、冬期間はベテランドライバーですら所要時間を犠牲にしてでも国道38号狩勝峠や国道236号天馬街道、あるいは有料である道東自動車道に迂回することが少なくない。
2000年代には道東自動車道(北海道横断自動車道)が日勝峠の十数km北側のJR石勝線にほぼ沿った狩勝峠経由のルートで整備された。十勝清水-占冠間が2009年10月24日に供用開始され、帯広・札幌間の所要時間が日勝峠を経由する場合より短縮された。2011年10月29日には道東道の夕張-占冠間が開通し、道央自動車道(札幌圏)とも直結。日勝峠の最短迂回路が完成し、利用転移が進んでいる。
歴史
- 寛政年間 蝦夷巡見使松平信濃守の命を受けた皆川周太夫が実踏調査
- 1881年(明治14年) 札幌県吏、内田瀞、田口捨六が右左府(現在の日高町)から根釧北への路線選定踏査
- 1920年(大正9年) 日高官民合同公式踏査
- 1947年(昭和22年) 清水・日高両町村住民合同踏査
- 1952年(昭和27年) 北海道開発局が開発道路「日勝道路」全線の測量を行い概測を完了
- 1955年(昭和30年) 村道日高清水線として開発道路に指定。日高側から工事着手
- 1959年(昭和34年) 清水側から工事着手
- 1961年(昭和36年) 日勝トンネル(初代・延長580m幅6m)工事着手。
- 1963年(昭和38年)4月 町道に昇格
- 1963年(昭和38年)10月 北海道道に昇格
- 1964年(昭和39年)12月 主要道道に指定
- 1965年(昭和40年)10月15日 「日勝道路」全線開通
- 1970年(昭和45年)4月 一般国道274号に指定
各種データ
- 最高点標高 1,023m
- 最急勾配 6.2%
- 最小曲線半径 50m
- 延長 57.800km(昭和40年開通時)
- 開発道路区間 53.151km
- 石山原野開拓線区間 4.649km
- 総工費 19億6293万4千円(昭和40年開通時)
- 工事従事者数 延べ49万人
- 使用セメント 8,600トン
- 使用鋼材 3,500トン
- 使用骨材 105,000立方メートル
脚注
関連項目
外部リンク
座標: [[[:テンプレート:座標URL]]42_58_16_N_142_45_08_E_type:pass_region:JP-01 北緯42度58分16秒 東経142度45分08秒]
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