抽象絵画
抽象絵画(ちゅうしょうかいが)は、抽象芸術・抽象美術のうちのひとつ。
狭義では、非対象絵画、無対象絵画、絶対象絵画のように、具体的な対象をかきうつすということのない絵画を意味する。
しかし、広義では、ピカソのキュビスム作品など、厳密には具象であっても事物そのままの形からは離れている(事物の形にさまざまな変化が施されている)絵画を含むこともある。
狭義の抽象絵画は、1910年代前半にはじまった。
抽象絵画の創始者
一般にはカンディンスキーが抽象絵画の創始者と言われており、その時期は1910年頃とされている。カンディンスキーのどの作品をもって最初の抽象絵画と呼ぶかについては、諸説あるが、例えば、1911年制作とされる、「円のある絵」(トビリシのグルジア美術館所蔵)が挙げられる。しかし、作品に記載した年が誤っているという説もある。
他に、最初期の抽象絵画としては、フランス(パリ)では、ロベール・ドローネー(Robert Delaunay; 1885年-1941年)、フランティセック・クプカ(Frantisek Kupka; 1871年-1957年)、ロシアでは、ミハイル・ラリオーノフ(Mikhail Larionov; 1881年-1964年)、アメリカでは、アーサー・ダヴ(Arthur Dove; 1880年-1946年)などが挙げられる。いずれも、1911年頃に、抽象絵画と呼べるような作品を残している。イタリアの未来派の一員だったジャコモ・バルラ(バッラ)も1912年には抽象表現に踏み出していた。
抽象絵画の流れ
抽象絵画の源流は、主として「ドイツ表現主義」からと「キュビスム」からの2つの流れがある。
- ドイツ表現主義からの流れは、カンディンスキーやフランツ・マルクなどの作品にあり、パウル・クレーの一部の作品も含めることができるかもしれない。カンディンスキーやマルクの作品は、抽象的でありつつ、有機的な形態を持っていたことに特徴がある。
- キュビスムからの流れはパリの美術運動「オルフィスム」からはじまり、ドローネー、クプカ、フランシス・ピカビア(Francis Picabia, 1879年-1953年)などが抽象的な絵画を描いた。そしてさらにオランダのピート・モンドリアンら「デ・ステイル」のメンバーへ流れ、ロシア・ソビエトでは、抽象美術運動「レイヨニスム」に始まり「ロシア・アヴァンギャルド」の美術家であるミハイル・ラリオーノフ、マレーヴィチ、ウラジーミル・タトリンらなどへ移る。そして流れは戦前のヨーロッパにおける「1930年代の抽象絵画運動」へ結集する。これらは、モンドリアンらを典型とする幾何学的な形態表現を特徴としている(オルフィスムでは、そこまでは至らず)。
もっともこの二つの流れは厳密に独立していたわけではなく、互いに影響を与え合い、時には合流することもあった。例としてはドローネーがカンディンスキーをはじめとする青騎士のメンバーと交流を持っていたこと、またクレーがパリでドローネーと会い彼の美術エッセイを独訳したこと、バウハウスはカンディンスキーやクレーが参加する一方でマレーヴィチらロシア・アヴァンギャルドのメンバーやデ・ステイルのテオ・ファン・ドースブルフらとも交流をもっていたことなどが挙げられる。1930年代の抽象絵画運動である「アプストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)」には、カンディンスキーとモンドリアンがそれぞれ加わっていた。
これらの作家のうち、第二次世界大戦のナチス政権を避けた多くの者がアメリカに亡命・移住した。これが、戦後のアメリカにおける美術の繁栄へとつながっていく。
なお、戦後の抽象絵画は、それまでの幾何学的な抽象に対して新しい潮流としてアメリカの「抽象表現主義」とヨーロッパの「アンフォルメル」が登場し、それらから派生した表現が多種多様の展開を見せた。
抽象絵画の到達点
何をもって抽象絵画の到達点と見るかにはいろいろな考え方があるが、第二次大戦前においては、非具象的でしばしば不規則な形態の表現を追求したカンディンスキーの作品(様々な色彩の多様な形状が画面いっぱいに展開されている「コンポジション」シリーズなど)、抽象的な形態の徹底した単純化を推し進めたマレーヴィチの作品(1915年頃の「黒の正方形」「黒の円」「黒の十字」「赤の正方形」など、1918年の「白の上の白(の正方形)」)、幾何学的な構成により純粋な調和とリアリティの実現を目指したモンドリアンの作品(1920年頃以降の水平線・垂直線と白黒・三原色)などが代表作とされる。大戦後においては画面における中心・周辺をいったものを排して新たな表現を打ち出したジャクソン・ポロックのドリッピングによる諸作品や(抽象表現主義の代表例とされることも多い)、厳密化と単純化の新たな到達点としてのフランク・ステラの「ブラック・ペインティング」シリーズなどが挙げられることがある。
具象絵画との区別・デザイン・マーク・模様等との区別
この区別は、客観的には極めて難しく、制作者の意図で判断せざるを得ない面がある。
(なお、具象絵画との区別については、明らかに具象絵画である作品が多いため、そのような作品については、おおむね区別可能であると予想されるが、ここでは、抽象絵画との区別が難しいような境界例を考えている。)
例えば、横長のカンバスに、左から、「○△□」と大きく油彩で描いてあったとする。
- これについて、「まるはボール、さんかくは山、しかくはビル、をそれぞれ示している」と描いた本人がいうのであれば、これは具象絵画か、せいぜい広義の抽象絵画、ということになる。
- これについて、「何か対象があったわけではない」と描いた本人がいうのであれば、抽象絵画になる。
- これについて、「絵ではなく、デザイン・マーク・模様」と描いた本人がいうのであれば、デザイン・マーク・模様となる。
このように考えてみると、結局、その区別は、制作者の主観によることがわかる。このことから、このような区別にどれだけの意味があるか、という疑問を呈する者もいる。
「抽象美術」「抽象芸術」について
「抽象美術」というものは、「抽象彫刻」などを含めた意味で使われる。 「抽象彫刻」を制作した具体的な作家名としては、コンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brancusi, 1876年-1957年)、ジャン・アルプ(Jean Arp, 1887年-1966年)、ナウム・ガボ(Naum Gabo, 1890年-1977年)、アントワーヌ・ペヴスナー(ペブスナー)(Antoine Pevsner, 1886年-1962年)、ウラジーミル・タトリン(Vladimir Tatlin, 1885年-1953年)、バーバラ・ヘップワース(Barbara Hepworth, 1903年-1975年)などが挙げられる。
なお、「抽象写真」や「抽象建築」という用語は、ほとんど使われない。
また、「抽象芸術」と言われる場合、「抽象音楽」などを含めた意味になる。