府中刑務所
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府中刑務所(ふちゅうけいむしょ)は、法務省東京矯正管区に属する日本最大の刑務所。通称「府刑(ふけい)」。
所在地
収容分類級
定員
- 2,842名 - 他の刑務所同様、収容者数の増加により、常に定員を上回る3,000名以上の受刑者を抱えている。
組織
所長の下に4部2室を置く6部制の施設である。
- 総務部(庶務・会計・用度)
- 処遇部(処遇・作業)
- 教育部(教育・厚生)
- 医務部(医療・保健)
- 分類審議室(考査・審査・保護)
- 国際対策室(翻訳通訳・渉外)
総務部付の調査官が1名いる。
外観・設備
- 敷地面積 262,055m²(庁舎 226,239m² 宿舎 35,816m²)
- 周囲を高さ5.5メートル、総延長 1.8キロメートルの塀に囲まれている。
- 収容棟は東1舎~東6舎、西1舎~西4舎、病舎(いずれも3階建て)、誠心寮の計11棟で構成されており、東1舎と西1舎~西2舎は雑居房である。東2舎~東3舎、東6舎、西3舎は夜間独居であり西3舎についてはF級の収容をしている。夜間独居についてはおおむね20%程度定員をオーバーしている。東3舎~東4舎、西4舎は調査、懲罰、処遇上屋内作業を行う者の収容棟である。誠心寮では仮釈放予定者を2週間前から収容し仮釈放前の教育を行う開放房である。
- 工場は1、3~29工場、31~33工場、炊場工場、洗濯工場、貸与工場、図書工場、営繕工場、東舎衛生工場、西舎衛生工場、計算工場、5区衛生工場、第1内掃工場、第2内掃工場がある。
- 体育館1棟、講堂1棟、浴場5棟、運動場4
- 武道場横に殉職した矯正職員及び被災死亡した受刑者の慰霊碑が建てられている。
施設の沿革
施設のしおりから一部抜粋
- 寛政2年(1790年)、老中松平定信の命で、火付け盗賊改長谷川宣以が隅田川河口に日本における近代自由刑のルーツとされる石川島人足寄場を設置。
- 明治28年(1895年)10月、石川島から北豊島郡巣鴨村に新築移転。「警視庁監獄巣鴨支所」を経て巣鴨監獄署」と改称。
- 明治36年(1903年)、司法省管轄となり「巣鴨監獄」と改称。
- 大正11年(1922年)、「巣鴨刑務所」と改称。
- 大正12年(1923年)9月、関東大震災により全壊。
- 昭和10年(1935年)6月、現在地に移転し「府中刑務所」と改称。累犯受刑者で改善困難な者を収容する。
- 昭和43年(1968年)、組織規定改正により、八王子拘置支所を管轄する。
- 昭和47年(1972年)、受刑者分類規定の制定によりB級受刑者、F級受刑者(アメリカ合衆国軍関係者を除く)を収容する。
- 昭和61年(1986年)9月、現在地において全面改装工事(10年計画)に着手。
- 平成7年(1995年)4月、外国人被収容者の増加に伴い、国際対策室を新設。
- 平成11年(1999年)3月、新庁舎就工。
- 平成21年(2009年)9月、八王子拘置支所廃止。
その他
- 1968年12月10日の三億円事件は府中刑務所北の外塀監視所付近でおこった。
- 独居房が満員となっており、現在の基準では独居房扱いとなる「田代政受刑者」も雑居房に収監されていた。(2014年7月に仮出所)
- 2013年には、同刑務所の看守が受刑者らに覚醒剤を渡していたとして、警視庁に覚せい剤取締法違反容疑で逮捕される事件があった([1])。