広島市立広島商業高等学校
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テンプレート:日本の高等学校 広島市立広島商業高等学校(ひろしましりつ ひろしましょうぎょうこうとうがっこう, Hiroshima City Hirshima Commercial High School)は、広島県広島市東区にある公立の全日制商業高等学校。
広島県立広島商業高等学校(県商)と区別するために、「市商」の略称で親しまれている。
概要
- 校訓
- 「自主・誠実・忍耐」
- 校章
- 旧・広島市商業学校の校章を継承し、ギリシャ神話に登場する商業神ヘルメス(ローマ神話のマーキュリーと同一視される)が持つ2匹の蛇が巻き付いた杖(カドゥケウス)をかたどったもの。 このヘルメスの杖の形で校名の「市」の文字を表している。
- 校歌
- 作詞・作曲は田中浩造、編曲は井上一清による。歌詞は2番まであり、校名は歌詞に登場しない。
- 設置課程・学科
- 全日制課程 2学科
- 情報ビジネス科 - 「ビジネスマナー」や「マーケティング」といった商業全般を学習。
- 情報システム科 - コンピュータを中心に商業を学習する。
- 2年次より2コースに分かれる。
- システムコース - 基本情報技術者を目標とし、コンピュータの専門的知識を中心に学習。
- シスアドコース - 初級システムアドミュニストレータを目標とし、コンピュータを利用する側の専門知識を学習。
- 【共通目標資格】
- 全商情報処理検定1級(プログラミング部門)、全商情報処理検定1級(ビジネス情報部門)、全商ワープロ検定3級、全商簿記検定2級、日商簿記検定3級
- 2年次より2コースに分かれる。
- 進路
- テンプレート:要出典範囲。
- 部活動
- 珠算部は全国レベル。
- 行事
- 体育大会では『市商音頭』という3年生の種目があり、生徒の中でも人気である。
- 資格試験
- 全商の検定1級を3つ以上とると卒業式の時表彰される。
沿革
- 1921年(大正10年)4月1日 - 広島市南竹屋町に「広島市商業学校」が開校。
- 1926年(大正15年)3月1日 - 広島市南観音町に新校舎が完成し、移転。
- 1944年(昭和19年)3月20日 - 「教育ニ関スル戦時非常措置方策」(1943年(昭和18年)10月12日閣議決定)により「広島市造船工業学校」に転換。
- 1945年(昭和20年)
- 8月6日 - 広島市への原子爆弾投下により全校舎が焼失。
- 9月24日 - 広島市立第三国民学校(広島市立翠町中学校の前身[1])の校舎を借用し、授業を再開。
- 戦後 - 「広島市商業学校」に復称。
- 1948年(昭和23年)5月3日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、新制高等学校「広島県広島市商業高等学校」が発足。
- 1949年(昭和24年)4月30日 - 広島県高等学校再編により、観音と基町の両高等学校の商業科に編入。
- 1954年(昭和29年)9月1日 - 広島県広島基町高等学校より分離し、「広島県広島市商業高等学校」(再)を設置。
- 1959年(昭和34年)4月 - 定時制課程を広島県広島大手町商業高等学校として分離。全日制課程を広島市仁保に移転。
- 1965年(昭和40年)6月11日 - 広島市牛田(現在地)に移転。
- 1980年(昭和55年)4月1日 - 設置者である広島市の政令指定都市移行に伴い、「広島市立広島商業高等学校」(現校名)と改称する。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 情報処理科を新設し、トータルプランを開始。
- 1992年(平成4年)4月1日 - OA秘書科・ビジネス会計科を新設。
- 2003年(平成15年)4月1日 - OA秘書科・ビジネス会計科・情報処理科を情報ビジネス科・情報システム科へ改変。
出身著名人
交通機関
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Asbox- ↑ 広島市立第三国民学校は高等科のみを有する国民学校であったため、戦後の学制改革では小学校ではなく、新制中学校となった。