年越し蕎麦
年越し蕎麦(としこしそば)とは、大晦日(12月31日)に縁起を担いで食べる蕎麦で、歳末の日本の風物詩ともなっている、日本の文化であり風習である。地域による特色があり、呼び方も晦日蕎麦[1][2]、大年そば[1]、つごもり蕎麦[1][2]、運蕎麦[2]、また、大晦日蕎麦、年取り蕎麦、年切り蕎麦、縁切り蕎麦、寿命蕎麦、福蕎麦、思案蕎麦と多くある。
概要
江戸時代には定着した日本の風習であり、蕎麦は他の麺類よりも切れやすいことから「今年一年の災厄を断ち切る」という意味で、大晦日の晩の年越し前に食べる(#歴史と由来を参照)蕎麦である(地域差もある。後述)。2012年現在、大晦日に年越しそばを食べる人は57.6パーセントにのぼり、文化として深く定着していることが窺える[3]。
日本各地に見られる文化であり、地域の特色の現れたさまざまな形式のそばが存在する。
歴史と由来
1814年の大坂繁花風土記には年越しそばに関する以下のような記述が残っている。
テンプレート:Quotation このことから、遅くとも1814年には江戸で年越しそばが文化として定着していたことが窺える。
さらに年越し蕎麦の起源をさかのぼると、江戸時代中期には商家に月の末日に蕎麦を食べる三十日蕎麦(みそかそば)という習慣があり[4]、これが転じて大晦日だけに行われる年越し蕎麦になったと考えられている[5]。 年越し蕎麦に関する記録は江戸中期ごろまで遡ることができ、その当時の江戸では江戸患い(脚気)が流行しており、「そばを食べている人は脚気にならない」という巷説が江戸での蕎麦の流行を後押しした[6]。
年越し蕎麦に関する伝承としては、年を越してから食べることは縁起がよくないとするものや、蕎麦を残すと新年は金運に恵まれず小遣い銭にも事欠くことになるといったものがある[2]。
1756年(宝暦6年)の眉斧日録には「闇をこねるか大年の蕎麦」と記述されている。明治時代・大正時代の大阪うどんの老舗では、商家でも「年越し蕎麦は注文が殺到した」と記述されている[7]。1812年(文化9年)の旅行記[8]によると、東北や甲信越では正月に祝い蕎麦を打つところもあった。
年越しそばの由来については諸説ある。
- 蕎麦は細く長いことから延命・長寿を願ったものであるとする説[9][10][5]
- 金銀細工師が金箔を延ばす為にそば粉を用いたとする説[9]
- 金銀細工師が金粉銀粉を集める為にそば粉の団子を使用したことから金を集める縁起物であるとする説[9][5]
- 鎌倉時代の謝国明による承天寺の「世直しそば」に由来するという説[9]
- ソバは風雨に叩かれてもその後の晴天で日光を浴びると元気になる事から健康の縁起を担ぐ説
- 蕎麦が五臓の毒を取ると信じられていたことに由来するとの説[5]
- 蕎麦が切れやすいことから、一年間の苦労や借金を切り捨て翌年に持ち越さないよう願ったという説[11]
- 家族の縁が長く続くようにとの意味であるとの説[10]
薬味のネギについては心和らげるという「労ぐ(ねぐ)」の意味[5]、あるいは、神職の「祢宜」の言葉に掛けた語呂合わせであるともいわれる[5]。
各地の年越し蕎麦と例外
テンプレート:出典の明記 日本では、一般的に年越しにあたり蕎麦を食べる「年越し蕎麦」が多いが、地方によって違いがある。また、地方によっては違う時期に蕎麦を食べて大晦日の夜は別の料理を食べる事もある。
- 福島県の会津地方では、大晦日でなく元旦に蕎麦を食べる事がある[12]。
- 新潟県では、大晦日でなく1月14日(小正月の前日)に蕎麦を食べる「十四日(じゅうよっか)そば」や1月1日(元旦)に蕎麦を食べる風習もある。
- 福井県では 濃い目のつゆを大根おろしでのばしてそばにかけ、ネギと鰹節をのせた越前そばを食べる人もいる。
- 香川県では、大晦日に地元の讃岐うどんを食べる人もいるが、2010年に四国学院大学の学生が香川県民を対象におこなった調査では、前年末に「うどんを食べた」という人の割合は、蕎麦の43%に対して22%であった[13][14]。このため、さぬきうどん振興協議会がうどんを食べる行事として年明けうどんを展開している。
- 沖縄県では、日本そばではなく日常食べる事が多い麺類である沖縄そばを食べる人の割合が多い。
鮭や鰯など異なる料理を食べる地方もあり、地域によって異なる。
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
- 麺類雑学辞典「年越し蕎麦」 - そばの散歩道(日本麺類業団体連合会)
- 社会人の基礎知識「年越しそば」テンプレート:Food-stub