平清経

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平 清経(たいら の きよつね)は、平安時代末期の平家一門の武将。平重盛の三男。母は正室の藤原経子横笛の名手として聞こえた。

略歴

寿永2年(1183年)に平家一門が都落ちした後は、次第に悲観的な考えに取り付かれ、大宰府を元家人である緒方惟義に追い落とされたことをきっかけとして、豊前国柳浦にて入水自殺した。享年21。『平家物語』「六道之沙汰」の段で建礼門院による述懐に、清経の死が平家一門の「心憂きことのはじめ」として語られている。

清経が入水したのは現在の大分県宇佐市柳ヶ浦地区・駅館川沖合といわれており、これにちなんで駅館川河口付近に小松塚と呼ばれる五輪塔および慰霊碑が建てられている(「小松」の名は清経の父・重盛が小松殿と通称されたことに由来する)。また、小松塚のたもとにある橋(駅館川河口に最も近い)も小松橋と名付けられている。

の代表的な演目である「清経」は、後世清経入水のエピソードを元に世阿弥が書き上げたものである。また、同じくこのエピソードをもとに、1969年には秦恒平が『清経入水』を発表している。

関連項目