岡晴夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年5月22日 (水) 23:05時点におけるToyedzappa (トーク)による版 (戦後)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox Musician

岡晴夫(おか はるお、1916年(大正5年)1月12日 - 1970年(昭和45年)5月19日)は戦前から戦後にかけて活躍した流行歌手。 千葉県木更津市出身。本名は佐々木辰夫(ささきたつお)。愛称は「オカッパル」。

経歴

生い立ち

千葉県木更津市に生まれる。幼い頃に両親を亡くし、祖父の手で育てられる。小学校時代は唱歌の授業が嫌いで成績はいつも「丙」だったという。六年生の時に音楽の先生から人前で歌を歌うことを勧められて歌を歌うことに興味を持ったという。16歳の時に上京し、万年筆屋の店員をしながら坂田音楽塾に通う。その一年後には上野松坂屋に勤める。

歌手として

昭和9年に上原げんととのちに妻となる奥田清子と出会う。浅草上野界隈の酒場などで流しをしながら音楽の勉強をする。当時、人気絶頂だった東海林太郎から激励されたのも、この頃であった。昭和13年にキングレコードのオーディションを受け上原とともに専属となる。 昭和14年2月「国境の春」でデビュー。「上海の花売娘」「港シャンソン」などのヒットを飛ばし一躍スターとなる。

昭和15年に奥田清子と結婚。3人の子供にも恵まれる。昭和19年にインドネシアアンボン島に配属されるが現地の風土病にかかり帰国を余儀なくされる。戦後は「東京の花売娘」「啼くな小鳩よ」「憧れのハワイ航路」などの大ヒットをとばす。

戦後

岡の全盛期は終戦直後であった。彼の底抜けに明るい歌声が、平和の到来と開放感に充ちた時代にはまったのである。

「東京の花売娘」ではブギウギのリズムに乗せ、ジャズ・米兵と焼け跡の首都の風俗を叙情的な歌詞で表され、「憧れのハワイ航路」では、戦争の火蓋が切られたハワイを、何の衒いも無く憧れの観光地に置き換えた。当時連載が始まった「サザエさん」に、フグ田サザエが「啼くな小鳩よ」を歌う場面があり、当時の岡の人気の程がうかがわれる。 リーゼントのヘアスタイルでも人気をあつめた岡は、歌手の傍ら、ポマードの販売を行うなどの話題を集めた。

地方巡業を優先したため、紅白歌合戦には生涯一度も出場することはなかった。

課長の月収が200円の時代、ワンステージ1万円でも引く手あまただった。

多忙なこともあり、当時芸能界で蔓延していたヒロポンを常用していたといわれる。

その後

しかし昭和29年頃からはヒット曲にめぐまれず糖尿病から白内障を併発してしまう。それを救ったのが妻の支えと親友上原げんとの「逢いたかったぜ」のカムバックだった。

カムバック後再び病床に伏し、上原げんとの死という不幸にも見舞われた。上原の葬儀に出席した岡はほとんど失明状態で一人で歩けなかったという。それでも舞台に立ちたい執念で昭和43年2度目のカムバックを果たす。東京12チャンネル(現:テレビ東京)で放送された歌謡番組『なつかしの歌声』に頻繁に出演して往年の大ヒット曲を披露した。さすがに、長年の闘病生活が原因で身体は痩せ往年の美声も失われるなど悲壮な姿であったが、ファンの声援を受け、彼自身もそれを支えに最晩年まで歌い続けた。

昭和45年4月、大阪府守口市で読売テレビ公開歌番組『帰ってきた歌謡曲』収録中倒れ、同年5月19日に逝去。この年夏に大阪万国博覧会でのNHK『第2回思い出のメロディ』に出演して十八番の「啼くな小鳩よ」を歌う予定で、死の直前まで万博の舞台に立つことを言い続けていたという。本番ではかしまし娘坂本九とが「啼くな小鳩よ」を歌って岡晴夫を偲んだ。

法名「天晴院法唱日詠居士」。遺骨は江東区本立院墓所に葬られた。現在千葉県市川市葛飾八幡宮には岡晴夫顕彰碑が建立[1]されている。

作品

  • 国境の春
  • 作詞:松村又一,作曲:上原げんと(昭和14年2月)
  • 大陸第一歩
  • 作詞:古谷玲児,作曲:佐藤長助(昭和14年3月)
  • 上海の花売娘
  • 作詞:川俣栄一,作曲:上原げんと(昭和14年5月)
  • 港シャンソン
  • 作詞:内田つとむ,作曲:上原げんと(昭和14年8月)
  • 今日も勝ったぞ
  • 作詞:佐藤惣之助,作曲:上原げんと(昭和14年9月) 映画「土と兵隊」主題歌
  • 親鳩子鳩
  • 作詞:佐藤惣之助,作曲:細川潤一(昭和14年9月) 映画「若妻」主題歌
  • 広東の花売娘
  • 作詞:佐藤惣之助,作曲:上原げんと(昭和15年1月)
  • 南京の花売娘(みどりの光よ)
  • 作詞:佐藤惣之助,作曲:上原げんと(昭和15年3月)
  • パラオ恋しや
  • 作詞:森地一夫,作曲:上原げんと(昭和16年8月)
  • 花の広東航路
  • 作詞:佐藤惣之助,作曲:上原げんと(昭和16年9月)
  • ニュー・トーキョー・ソング
  • 作詞:清水七郎,作曲:上原げんと(昭和21年3月)
  • 東京の花売娘
  • 作詞:佐々詩生,作曲:上原げんと(昭和21年6月)
  • 青春のパラダイス
  • 作詞:吉川静夫,作曲:福島正二(昭和21年11月)
  • 啼くな小鳩よ
  • 港に赤い灯が点る
  • 港雨降れば
  • 作詞:高橋掬太郎,作曲:飯田三郎(昭和22年9月)
  • 東京シャンソン
  • 作詞:吉川静夫,作曲:上原げんと(昭和22年10月)
  • 男一匹の唄
  • 作詞:夢虹二,作曲:佐藤長助(昭和23年8月)
  • 憧れのハワイ航路
  • 港ヨコハマ花売娘
  • 作詞:矢野亮,作曲:上原げんと(昭和24年2月)
  • 東京の空青い空
  • 作詞:石本美由起,作曲:江口夜詩(昭和24年3月)
  • 街の波止場
  • 作詞:吉川静夫,作曲:上原げんと(昭和24年5月)
  • グッドバイ東京
  • 作詞:石本美由起,作曲:江口夜詩(昭和24年6月)
  • 男の涙(夜の裏町)
  • 作詞:高橋掬太郎,作曲:上原げんと (昭和24年9月) 新東宝「男の涙」主題歌
  • 涙の小花
  • 作詞:高橋掬太郎,作曲:上原げんと (昭和24年9月)
  • 旅笠街道
  • 作詞:高橋掬太郎,作曲:大村能章(昭和24年9月)
  • アンコ可愛いや
  • 作詞:松村又一,作曲:上原げんと (昭和24年10月)
  • マドロスの唄
  • 作詞:松村又一,作曲:上原げんと (昭和24年10月) 「マドロスの唄」主題歌
  • 男の人生
  • 作詞:飛鳥井芳郎,作曲:島田逸平(昭和25年4月)
  • 憧れのブルーハワイ
  • 作詞:松村又一,作曲:上原げんと(昭和25年6月) 「憧れのハワイ航路」主題歌
  • 男のエレジー
  • 作詞:石本美由起,作曲:宗像宏(昭和25年8月) 「やくざブルース」主題歌
  • 哀恋ブルース
  • 作詞:高橋掬太郎,作曲:上原げんと(昭和25年8月)
  • 長崎の花売娘
  • 作詞:松村又一,作曲:上原げんと(昭和25年8月)
  • 港の子守唄
  • 作詞:松村又一,作曲:島田逸平(昭和26年1月)
  • 東京パラダイス
  • 作詞:若杉雄三郎,作曲:飯田三郎(昭和26年1月)
  • 哀恋行路
  • 作詞:石本美由起,作曲:江口夜詩(昭和26年1月)
  • 船は港にいつ帰る
  • 作詞:高橋掬太郎,作曲:細川潤一(昭和26年5月)
  • 二人のパラダイス
  • 小鳩椿
  • 作詞:宗像宏,作曲:宗像宏(昭和26年9月)
  • 伊豆は湯の町
  • 作詞:内田つとむ,作曲:宗像宏(昭和26年9月)
  • 赤いランプの貨物船
  • 作詞:宗像宏,作曲:宗像宏(昭和26年10月)
  • アメリカの花売娘
  • 作詞:若杉雄三郎,作曲:江口夜詩(昭和27年2月)
  • 花火の舞
  • 作詞:若杉雄三郎,作曲:江口夜詩(昭和27年12月) 映画「花火の舞」主題歌
  • 道頓堀の花売娘
  • 作詞:若杉雄三郎,作曲:江口夜詩(昭和28年1月)
  • 御神火つばき
  • 作詞:松村又一,作曲:細川潤一(昭和28年3月)
  • 別れの夜霧
  • 港のエトランゼ
  • 作詞:矢野亮,作曲:渡久地政信(昭和28年8月)
  • さらば別れよ
  • 作詞:高橋掬太郎,作曲:渡久地政信(昭和28年11月)
  • 黒船物語
  • 作詞:高橋掬太郎,作曲:細川潤一(昭和28年11月)
  • 男涙の白椿
  • 作詞:高橋掬太郎,作曲:飯田三郎(昭和28年12月)
  • 今日も雨だよ
  • 作詞:矢野亮,作曲:渡久地政信(昭和28年12月)
  • 幸福はあの空から
  • 作詞:矢野亮,作曲:渡久地政信(昭和29年2月)
  • 抱き寝の長脇差
  • 作詞:高橋掬太郎,作曲:大村能章(昭和29年5月)
  • 若草物語
  • 作詞:横井弘,作曲:飯田三郎(昭和29年7月)
  • 途中下車
  • 作詞:松村又一,作曲:島田逸平(昭和29年9月)
  • 逢いたかったぜ
  • 作詞:石本美由起,作曲:上原げんと (昭和30年7月)

ライブ・レコーディング

  • ~幻のオン・ステージ~岡晴夫ヒット・パレード 旭川国民劇場ライヴ盤 (1959年・旭川国民劇場、キングレコード NA-275)
  • 実演 岡晴夫の魅力 旭川国民劇場ライヴ盤 (1961年1月&12月・旭川国民劇場、同 NA-277)
  • 甦る岡晴夫 幻のライヴ~「新春歌ごよみ」より (1962年1月23日・名古屋名鉄ホール、同 SKD-502M,K25A-610)

映画出演

外部リンク

脚注

  1. なお建立を記念して関係者向けに、ラジオ関東の協力により、死去1ヶ月前に収録された番組音声を編集したEP盤「岡晴夫大いに語る」が制作されている(キング ND-170)