岡山一番街
岡山一番街(おかやまいちばんがい)は、岡山県岡山市北区にある地下街[1]。ここでは、隣接するペスカ岡山(旧岡山駅地下三番街(おかやまえきちかさんばんがい))についても記述する。
岡山一番街
当地下街は西日本旅客鉄道(JR西日本)の子会社である山陽SC開発株式会社(旧・株式会社岡山ステーションセンター)が運営・管理する、中四国地方屈指の規模をもつ地下商業施設である。JR岡山駅東口の地下改札口前に正面入り口があり、東口のドレミの街・高島屋・OPA・ホテルグランヴィア岡山・イオンモール岡山(2014年11月開業予定)・岡山駅前電停・東口バスターミナルなどの主要な施設や建物への連絡通路の役割も持っている[1]。
現在、2006年(平成18年)に駅構内に開業した同じJR西日本グループのさんすて岡山とバッティングした業種の売上が減少したために、リニューアルによるテナントの強化やハード面の見直しなどで売上獲得と他施設との差別化を図っている。
建物・施設
- 名称 - 岡山一番街
- 所在地 - 〒700-0024 岡山市北区駅元町一番街地下(1号~7号)
- 開業 - 1974年(昭和49年)8月24日
- 規模 - 建築総面積 約24,000m²
- 地下1階 約8,000m² 店舗 (98店)
- 地下2階 約4,000m² 駐車場(100台収容)
ペスカ岡山(旧・岡山駅地下三番街)
岡山駅地下三番街は1959年(昭和34年)に中四国地方初の地下街として「岡山駅地下商店街」の名称でオープンした。当時は駅前で最も賑やかだった駅前町と岡山駅を繋ぐ役割を果たしていた。その後、1961年(昭和36年)に岡山会館ビルが完成すると、同ビル地下1階と地下街が接続された。
その後、1977年(昭和52年)頃に「岡山駅地下三番街」に名称を変更した。因みに、名称変更当時、岡山会館2階には「岡山会館二番街」があり、一番街と二番街(岡山会館ビル)を結ぶ地下街として三番街の名称となったという。
入口の看板には「岡山駅地下三番街(食堂街)」と描かれるなど、テナントは買い物・観光客相手の食事処やサラリーマン御用達の居酒屋などの飲食店が中心で隆盛を極めた。
しかし、南隣に一番街、その先の地上では本町の高島屋や駅前町のダイエー等の大型店が相次いでオープンしてからは、人の流れは変わっていった。また、若年層をターゲットに衣料品店を中心に構成しリフレッシュを繰り返し、テナントの入替も積極的に行っていた一番街とは対照的に、三番街は改装は行ったものの基本的な店舗構成は変わらず、建物自体の老朽化・陳腐化も否めなかった。
その後も一日の平均通行者数は約7500人(平日)であり、地下道として人通りは少なくなかったが、商業施設としては岡山会館や駅前商店街とともに徐々に衰退していった。そして2006年(平成18年)6月、岡山会館から供給されている電力、空調設備がビルの工事の為に止められることが発表。これにより、三番街は一時閉鎖となった。
その後、2007年(平成19年)11月に岡山会館ビルが成通岡山ビルとして再オープン後も閉鎖状態が続いていたが、運営会社の大和から権利を買い取った「株式会社ウエスト」が2008年(平成20年)7月から全面改装工事を実施、高級ホテルをイメージした大理石張りの内装にするほか、耐震補強を施し、排煙設備も設置し、衣料品などの新規店舗を導入して、2009年(平成21年)3月を目処に再オープンする予定であったが、テナント誘致に難航し、同年7月、その後同年秋、さらに2010年(平成22年)春と、度々開業時期が延期された。
ようやく2010年(平成22年)6月18日に、同地下街は「ペスカ岡山」の名称でオープンした。名称の「ペスカ」はイタリア語で「桃」を意味するもので、当初は14店で開業し、2011年(平成23年)現在19店で営業している。
なおウエストの社長は、岡山県赤磐市の出身で、菱和ライフクリエイト(現・クレアスライフ)創業者、ルーデン・ホールディングス取締役会長などを務める西岡進である。
駅前の構造と問題点
岡山駅前は地下においては岡山一番街やペスカ岡山等を通じて、道を隔てた駅前町、本町、錦町などの繁華街や市内電車のりばにバスターミナルなどの施設と結ばれているなど非常に機能的に整備されている。しかしながら、エレベータの無い連絡口が多く、地上を移動するにも横断歩道が少なかったり、あるいは駅から少し離れたところに設けられているなど遠回りを余儀なくされることが多く、高齢者や旅行客には不便な構造になっている。
最近では、岡山駅の改修工事に伴い、岡山一番街(地下1階)と駅前広場(1階)、そして岡山駅構内(2階)を結ぶエレベータが設置され、岡山駅から一番街までのバリアフリールートが整備されている。