実録
実録(じつろく)は、中国の史官が、皇帝一代の事績を記録した書物を指す用語である。
概要
その起こりは南北朝時代以前であるとされ、梁の武帝の事績を記した『梁皇帝実録』などの記録が見える。しかし、その編纂の制度が整備されたのは、唐代になってからであり、皇帝が崩御した後に、起居注を中心とした文書や記録を集めて編纂することとなった。さらに、実録を元にして各王朝の史書、つまり正史が作られることとなる。
現存する実録としては、唐の『順宗実録』(編纂者韓愈の『韓昌黎集』外集に収録)と北宋の『太宗実録』(元80巻、現存20巻)が見られるほか、『明実録』(13部、3045巻)と『清実録』(12部、4403巻)を見ることが出来る。明・清の実録は、ともに影印出版されているため、便利である(『大明実録』、1942年・『大清歴朝実録』、1937年)。
朝鮮の実録
李氏朝鮮の史臣及び同政府を継承した朝鮮総督府によって編纂された『李朝実録』がある。
日本の実録
日本で編纂された正史で実録の名称が付されているものとしては、六国史の『日本文徳天皇実録』や『日本三代実録』がある。ただし、仁明天皇1代のみを扱った『続日本後紀』の方が体裁としては実録に近く、一方『三代実録』では清和天皇以後3代の天皇が扱われるなど、当時日本において「実録」がどのように理解されていたかについては不明な部分もある。
なお、明治以後、孝明天皇以後の代々の天皇の実録が宮内省で作られており、この事業は現在の宮内庁にも継承されている。これまで『孝明天皇紀』・『明治天皇紀』が完成している。ところが、『大正天皇紀』に関しては、その存在自体は推測されていたものの、長年宮内庁においては情報公開の対象外とされていた(『大正天皇実録』(全85巻)は当時の宮内省において1927年(昭和2年)から1937年(昭和12年)にかけて編纂されていた)。このため、「大正天皇の健康問題が関わっているのでは?」などの様々な説が言われていた。ところが、2001年(平成13年)になって情報公開・個人情報保護審査会が非公開を不当とする判断を下し、宮内庁も編纂の事実を認めた。このため、翌2002年(平成14年)、2003年(平成15年)及び2008年(平成20年)[1][2]に第48巻以降が、また第1巻から47巻までが2011年(平成23年)に一部黒塗りとして公開された[3]。
また、『昭和天皇実録』も宮内庁によって編纂が進められていたが[4]、2014年(平成26年)に編纂が完了して同年8月21日に今上天皇に奉呈された事が宮内庁より公表され、翌2015年(平成27年)より5年間かけて順次刊行される事になった[5]。
関連項目
脚注
- ↑ 晩年期の「大正天皇実録」公開 (産経新聞、2008年6月4日付)
- ↑ 闘病の日々、淡々と記述 「大正天皇実録」第3回公開 (朝日新聞、2008年6月5日付)
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外部リンク
- 畑村学「韓愈の史才と『順宗実録』」 中国中世文学会『中国中世文学研究』No.44 2003年7月 ISSN 0578-0942 p45~p63
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- 季武嘉也「歴史資料の公開の現状と問題点 宮内庁書陵部における「大正天皇実録」の公開からの視点」 創価大学『創価大学人文論集』No.17 2005年3月 ISSN 0915-3365 p89~p120