安寧天皇
安寧天皇(あんねいてんのう、綏靖天皇5年 - 安寧天皇38年12月6日)は、『古事記』『日本書紀』に伝えられる第3代天皇(在位:綏靖天皇33年7月15日 - 安寧天皇38年12月6日)。磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみのみこと)・師木津日子玉手見命(『古事記』)。
いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが実在説もある。(欠史八代の実在説を参照。)
系譜
父は綏靖天皇、母は事代主神の女・五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)(『古事記』は河俣毘売)
系図
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皇居
片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや)。『古事記』にも「片塩浮穴宮」。所在地については、以下の3説がある。
前後の諸宮が全て奈良盆地の中に位置しているので、候補としては第1・2説が有力とみられるが、その詳細は不明である。
なお、大和高田市に存する「片塩」「浮孔」の町名・施設名(例:浮孔駅)は全て、第2説に基づいた近代以降の復古地名に過ぎない。
事績
特に記録されていない。綏靖天皇25年正月に立太子、同33年父天皇の崩御を受けて、7月に即位。在位38年で崩御。『日本書紀』に57歳(67歳?)、『古事記』に49歳という。
陵・霊廟
陵(みささぎ)は、奈良県橿原市吉田町にある畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)に治定されている。公式形式は山形。俗称「アネイ山」(山形墳)。
『古事記』では「畝火山の美富登(みほと)」とある。元禄修陵では所在を誤ったが、幕末修陵に際して現陵に治定。陵号の由来になったとされる古井戸の「御陰井」が陵南の集落中にあり、陵と共に宮内庁によって管理されている。
また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。
在位年と西暦との対照
当天皇の在位について、実態は明らかでない。『日本書紀』に記述される在位を機械的に西暦に置き換えた年代については「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧」を参照。
関連項目
外部リンク
- 畝傍山西南御陰井上陵 - 宮内庁
- 安寧天皇陵参拝案内