大野城 (越前国)

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テンプレート:Infobox 大野城(おおのじょう)は福井県大野市にあった日本の城明治までは大野藩の藩庁が置かれた。天守は昭和に建てられたもの。

概要

ファイル:Ohno Castle.jpg
越前大野城 遠望

1575年天正3年)、織田信長より越前一向一揆を平定した恩賞として越前国大野郡の内の3万石を与えられた金森長近がその翌年、最初に居城とした戌山城の近くの亀山(大野盆地の小孤峰)に城郭を築いたのが越前大野城の始まりである。築城に数年間を要した。その後、越前松平家が3代続いた後天領となり、土井氏で定着するまで目まぐるしく城主が替わった。城は1775年安永4年)に焼失し、1795年寛政7年)には天守を除いて再建されたが、明治維新後に破却されている。

2014年に有志による「ラピュタの会」が結成され、「天空の城 大野城」の知名度向上に努めている[1][2]

遺構

山頂の石垣および堀が現存し、山麓部にも内堀および外堀の一部が残る。建造物としては、不明門が市内中丁真乗寺山門として、櫓門であった鳩門の門部分が光明寺山門として、それぞれ移築され現存する。また、8代利忠の隠居所が柳廼社社務所として移築現存する。

天守

天守は、亀山の山頂にある天守曲輪に建てられた。本来は望楼付きの2重3階の大天守に2重2階の小天守、天狗の間(天狗書院)と呼ばれた付櫓(天狗櫓)が付属された、複合連結式の天守であったが、1795年に焼失して以降、再建されないままであった。

復興天守

現在山頂に建つ天守は、1968年昭和43年)に元士族の萩原貞の寄付金を元に、往時の絵図や創建当時の同時期の他の城の天守を元に、鉄筋コンクリート構造によって推定再建されたものである。しかし、小天守が天狗の間の位置に建てられていることなど、史実に基づいた復元再建ではない。復興天守の内部は、金森氏や土井氏など歴代の城主に関する資料を展示した資料館として利用されている。12月から翌年3月までは閉館となっている。

入場料
大人(高校生以上)200円 小人(中学生以下)無料(2014年現在)

脚注

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関連項目

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外部リンク

  • 大野城も竹田城跡のような天空の城 全国発信へ「ラピュタの会」設立
  • 竹田城跡だけじゃない、「天空の城」人気岡山・備中松山城、福井・越前大野城などMoneyzine, 2014年05月11日