大樹寺
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多宝塔(重要文化財)
大樹寺(だいじゅじ/だいじゅうじ)は、愛知県岡崎市(三河国)にある浄土宗の寺院。山号は成道山。正式には成道山松安院大樹寺(じょうどうさん しょうあんいん だいじゅじ)と称する。
徳川氏(松平氏)の菩提寺であり、歴代当主の墓や歴代将軍(大樹公)の位牌が安置されている。 大樹寺から岡崎城が眺望でき、直線上にマンション等の高層建築物を建てることはできない。
歴史
文明7年(1475年)、松平氏宗家当主の松平親忠が戦死者供養のため、勢誉愚底を開山として創建した。
永禄3年(1560年) 桶狭間の戦いで今川軍は敗走し、松平元康(徳川家康)はここに逃げ帰り、先祖の墓前で自害しようとしたが、住職の登誉に諭されて思い留まった。慶長7年(1602年) 勅願寺となる。
歴代将軍位牌
大樹寺に安置されている江戸幕府歴代将軍の位牌は、それぞれ将軍の臨終時の身長と同じという説がある。なお、15代将軍慶喜の位牌は大樹寺に置かれていない。これは将軍職を引いた後も存命であったことと、臨終に際し自らを赦免し爵位まで与えた明治天皇に対する恩義から神式で葬られることを遺言したためである。 以下に、各位牌の高さを示す。
- 家康159・0センチ
- 秀忠160・0センチ
- 家光157・0センチ
- 家綱158・0センチ
- 綱吉124・0センチ
- 家宣156・0センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は160センチ前後
- 家継135・0センチ ※満6歳薨去
- 吉宗155・5センチ ※身長は六尺(約180センチ)あったとも伝えられる。
- 家重151・4センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は156センチ前後
- 家治153・5センチ
- 家斉156・6センチ
- 家慶153・5センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は154センチ前後
- 家定149・9センチ
- 家茂151・6センチ ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は157センチ前後
当時の平均身長から大きく外れているのは綱吉と家継の位牌であるが、これを根拠に綱吉が低身長症であった、家継が巨人症であった、などの説が存在する。
文化財
- 多宝塔 - 天文4年(1535年)建立、初層平面は方形、二層平面は円形。
- 絹本墨画淡彩如意輪観音図
- 大方丈障壁画 冷泉為恭(岡田為恭)筆
- 紙本著色子日(ねのひ)図 23面(上段の間、襖貼付6 壁貼付17)
- 紙本著色琴棋書画図 4面(上段の間、戸袋貼付)
- 紙本著色茸狩図 22面(次の間、襖貼付16 壁貼付6)
- (以下は附指定)
- 紙本著色鶴図 19面(襖貼付16 壁貼付3)
- 紙本著色牡丹図 15面(襖貼付12 壁貼付3)
- 紙本著色鉄線花図 16面(襖貼付)
- 板絵著色杉戸絵 16面(布袋唐子図2、桧時鳥(ほととぎす)図2、鴛鴦(おしどり)図2、蘇鉄猫図2、岩に鷹図2、東遊図2、緑陰浴馬図2、花果籠図2)
- 紙本墨画春秋山水図 16面(襖貼付)
- 小方丈杉戸絵 6面(松に桜図2、陶淵明図2、紅葉滝図2)
- 紙本著色蓮池図 8面(本堂所在、襖貼付)
- 紙本墨書作画目録 為恭筆 1巻
- 愛知県指定有形文化財
- 岡崎市指定文化財
- 大樹寺本堂[12]
- 大樹寺開山堂[12]
- 絹本著色勢誉上人像[12]
- 絹本著色登誉上人像[12]
- 木造東照権現(徳川家康)坐像[12]
- 梵鐘[12]
- 木造雲珠型袖附位牌[12]
- 木造札型平頭位牌[12]
- 黒漆嵌装舎利厨子[12]
- 松平八代墓(史跡)[12]
- 大樹寺のしい(天然記念物)[12]
所在地
愛知県岡崎市鴨田町広元5-1