年神
テンプレート:Sidebar with heading backgrounds 年神(としがみ、歳神とも)は、神道の神である。
来方神
毎年正月に各家にやってくる来方神である。地方によってはお歳徳(とんど)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿、トシドン、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれる。
現在でも残る正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものである。門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物であった[1]。各家で年神棚・恵方棚などと呼ばれる棚を作り、そこに年神への供え物を供えた。
鹿児島県薩摩川内市の下甑島に伝わる年神は、トシドンとよばれる[2]。
また陰陽家では、娑謁羅竜王(しゃからりゅうおう)の娘、女神・頗梨采女(はりさいじょ)のことを年神といい、元旦に来訪する神霊という。のちに、これに先祖霊が加えられ、習合した[3]。
穀物神
「年」は稲の実りのことで、穀物神である。本居宣長は「登志とは穀のことなり、其は神の御霊以て、田に成して、天皇に寄奉賜ふゆえに云り、田より寄すと云こころにて、穀を登志とはいうなり」と述べ、穀物、農耕神であるとした。
信仰の根底にあるのは、穀物の死と再生である。古代日本で農耕が発達するにつれて、年の始めにその年の豊作が祈念されるようになり、それが年神を祀る行事となって正月の中心行事となっていった。
祖霊
また一方で、年神は家を守ってくれる祖先の霊、祖霊として祀られている地方もある。農作を守護する神と家を守護する祖霊が同一視されたため、また、田の神も祖霊も山から降りてくるとされていたため(山の神も参照)である。
柳田國男は、一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを一つの神として信仰した素朴な民間神が年神であるとしている。
年徳神
中世ごろから、都市部で「年神(歳神)」は「年徳神(歳徳神)」と呼ばれるようになった。徳は得に通じ縁起が良いとされたためである。方位学にも取り入れられ、歳徳神のいる方角は「恵方」と言って縁起の良い方角とされた。
暦には女神の姿をした歳徳神が描かれているが、神話に出てくる大年神は男神であり、翁の姿をしているともされる。元々民間信仰の神であり、その姿は様々に考えられていたということである。
正月の支度をしていると翁と出会い、待ち合わせをしていた童と交代で帰って行くのを見届ける為に数日が過ぎ、すっかり年が明けてしまったと思っていたら時間は経過しておらず、童が今年の年神である事に気付くという伝承がある。
大年神・御年神
日本神話では、スサノオと神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の間に生まれた大年神(おおとしのかみ)としている。両神の間の子にはほかに宇迦之御魂神がおり、これも穀物神である。また、大年神と香用比売(カヨヒメ)の間の子に御年神(みとしのかみ、おとしのかみ)、孫に若年神(わかとしのかみ)がおり、同様の神格の神とされる。
古事記における記載
大年神は他に多くの神の父とされる[4]。
- 伊怒比売(いのひめ、神活須毘神(かむいくすび)の娘)との間の子
- 香用比売(かよひめ)との間の子
- 大香山戸臣神(おほかぐやまとみ)
- 御年神(みとし)
- 天知迦流美豆比売(あめのちかるみづひめ)との間の子
- 羽山戸神と大気都比売神との間の子
古語拾遺における記載
『記紀』には系譜以外の事績の記述がないが、『古語拾遺』には、大地主神(おおとこぬしのかみ)の田の苗が御年神の祟りで枯れそうになったので、大地主神が白馬・白猪などを供えて御年神を祀ると苗は再び茂ったという説話がある。
大歳神社
大年神は大歳御祖神社(静岡県静岡市葵区)、飛騨一宮水無神社(岐阜県高山市)などで祀られている。また、特に西日本で大歳神社・大歳様として田の畔の祠などに祀られている。葛木御歳神社(奈良県御所市)が全国の御歳神(御年神)を祭る神社の総本社とされる。
大和神社
大和神社(おおやまとじんじゃ)右殿でも祀られている。中殿に日本大国魂大神、左殿に八千戈大神、右殿に御年大神を祀る。
日本大国魂大神(倭大国魂神)以外の祭神については文献によって諸説あり、『神社要録』では左殿を須沼比神。『社家説』『元要記』では左殿を三輪大明神(大物主)・右殿を天照大神。『元要記一説』では右殿を稲倉魂神(ウカノミタマ)としている。