堀田正民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

堀田 正民(ほった まさたみ、天明元年(1781年)- 天保9年8月19日1838年10月7日))は、近江宮川藩の第6代藩主。堀田家宗家8代。

第5代藩主・堀田正穀の長男。正室は松山藩主・松平定国の養女(松平定謚の娘)。側室に松平氏。子は娘(堀田正義正室)。官位は従五位下、美濃守、豊前守、加賀守。

文化12年(1815年)2月6日、父の隠居により跡を継ぐ。文化14年1月20日、大番頭に就任する。文政10年(1828年)9月12日、奏者番に就任する。天保9年(1838年)8月19日、58歳で死去し、跡を婿養子の正義が継いだ。

テンプレート:近江宮川藩主