坂本休

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テンプレート:政治家 坂本 休(さかもと やすむ、1930年10月8日 - )は、大分県日田郡中津江村の、自治体としての同村の最後の村長。最終学歴は中津江村国民学校卒業。自称「日本人のカメルーン」。

人物

日田市中津江村栃野在住。

村長を務めていた当時の2002年、中津江村が2002 FIFAワールドカップ(W杯)でカメルーン代表のキャンプ地に選ばれたが、選手団の中津江入りが予定より5日も遅れたことで、村とともに村長の名も全国に知れ渡った。「W杯(中津江村)」は、2002年の新語・流行語大賞年間大賞に選ばれ、坂本はその受賞者となった[1]

W杯後も、大分スポーツ公園総合競技場(ビッグアイ、現:九州石油ドーム)で開催された、日本代表対カメルーン代表の親善試合(キリンチャレンジカップ)に顔を出したり[2]、自身がカメルーンを訪問し、友好都市メヨメサラ市にも足を運ぶなど、中津江とカメルーンの交流を続けている。

2003年には、カメルーン政府から「カメルーンと日本の友好関係に貢献した」として「シュバリエ勲章」が贈られた[2]。カメルーンに貢献した人物に贈られるもので、日本人の受章は初めて。また、同年、メヨメサラ市長も来日し、旧中津江村を訪問している。

現在、鯛生金山の経営などを行う財団法人中津江村地球財団理事長であり、大分トリニータ後援会の会長も務める傍ら、W杯で得た経験を生かし、シンポジウムなどのパネリストとして引っ張りだこである。

2009年12月13日、経営難に陥っている大分トリニータ再建のために設立された『大分トリニータを支える県民会議』の会長に就任した[3]

2010年6月南アフリカで行われる2010 FIFAワールドカップ(W杯)に、カメルーン代表の応援のため現地で観戦する。

経歴

  • 1983年 - 中津江村議会議員当選。
  • 1988年4月 - 中津江村議会議長。以後、2期8年務める。
  • 1996年6月12日 - 中津江村長当選。以後、2期務める。
  • 2004年12月 - 財団法人中津江村地球財団理事長就任。
  • 2005年3月21日 - 中津江村が日田市に編入合併したため村長失職。
  • 2005年4月23日 - 大分トリニータ後援会会長就任。
  • 2009年12月13日 - 大分トリニータを支える県民会議会長就任

著書

  • カメルーンがやってきた 中津江村長奮戦記(2002年11月、宣伝会議、ISBN 978-4883350650)

脚注

  1. テンプレート:Cite web
  2. 2.0 2.1 揺れた!ビッグアイ 大分決戦 ドロー/キリン杯サッカー
  3. 大分トリニータを支える県民会議設立総会

テンプレート:歴代の新語・流行語大賞の受賞者 (年間大賞選定以後・1991-2010)

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