地球ZIG ZAG

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 テレビ番組地球ZIG ZAG』(ちきゅうジグザグ)は、1989年10月1日から1994年3月27日まで、TBS系列で放送されていた毎日放送テレビマンユニオン制作の紀行・ヒューマンドキュメンタリー番組である。放送時間は、毎週日曜11:00 - 11:30(JST)。

概要

毎日放送とテレビマンユニオンの共同製作によるテレビ番組であり、東レの一社提供で放送された。それまで、日曜10時台前半に設定されていた毎日放送制作枠を、直後のローカル1時間枠との交換で日曜11時台前半に移してから最初の番組である。

毎週応募によって選ばれた一般人が1人で約1週間海外の町・村・島などに滞在し、現地の人々と交流しながら、様々な体験修行をし、帰国後、その体験をスタジオで報告するドキュメンタリー番組として放送された。のちにヴェルディなどでプレーする三浦知良など、本番組の放送当時、日本ではまだ無名だった人物もいち早く取り上げられた。番組内では、報告者を隊員、司会者は隊長・副隊長と呼ばれ、スタジオには毎回1名または2名のゲストが招かれた。本番組のコンセプトは、のちに本番組と同じテレビマンユニオンが製作した『世界ウルルン滞在記』に受け継がれた。

テーマ音楽は小笠原寛(現・手使海ユトロ)が手掛け、VTR中のナレーターは一貫して池田秀一が担当した。また、番組の冒頭には「ZIGZAGとは、地球を駆ける若者達の足音」とのナレーションが付された。

歴代司会者

隊員

地球ZIG ZAG』は、基本的に一般人が隊員として海外にホームステイする番組であった。また、隊員として番組に出演した後にテレビマンユニオンに入社するなどして番組関係者になるケースも少なくなかった。そして、折にふれてタレントなどの著名人が隊員として起用されるケースも見られた。その全容は以下の通り。また、この著名人の起用は、後の『世界ウルルン滞在記』の基礎ともなった。

視聴率

初回視聴率は関東地区4.4%、関西地区2.9%。番組開始1ヶ月にして打ち切りの危機に瀕したが、徐々に力をつけ、最盛期には関東地区で7%近い数字を維持。
全224回の平均は関東地区・関西地区ともに5.1%。それぞれの時代の最高視聴率(番組平均世帯視聴率)は下記の通り(いずれもビデオリサーチ調べ)。

  • 鴻上隊長時代:関東8.2%(傑作選・1992.3.29)関西8.5%(香港、水上生活・1990.7.1)
  • 高嶋隊長時代:関東8.7%(イタリア、ゴンドラ・1992.7.26)関西10.6%(中国、パンダ・1993.1.24)
  • 吉田隊長時代:関東6.9%(ルーマニア、キャビア・1993.4.18)関西9.0%(韓国、冷麺・1993.6.13)

訪問国・隊員等のデータ

  • 放送回数:224回(総集編含む)
  • 訪問国:最終回の番組内では58ヵ国・地域と紹介しているが異説が多い。なおこの中にはタイから日本への逆ZIGZAGも含まれる。
  • 隊員数:これも異説が多い。215人説から217人説まである。再訪問して2度登場したのは2人で、この手法は後の『世界ウルルン滞在記』の2時間スペシャルでも踏襲された。
  • ゲスト数:総勢131人。最多登場は篠原勝之の21回。以下、加納典明14回、泉谷しげる12回、美輪明宏6回、川崎徹・結城貢・西木正明・ガッツ石松がそれぞれ5回ずつ。

備考

放送開始当時TBS系列局がなかった愛媛県では、当初は南海放送日本テレビ系列JNNには番販で加盟)で放送していた。1992年10月にTBS系列局である伊予テレビ(現:あいテレビ)が開局したものの、スポンサーの関係でしばらくの間は南海放送での放送を継続した[2]。高知県のTBS系列局であるテレビ高知では、『まんが日本昔ばなし』の時差ネットに充てていたため、最後まで未放送だった[3]。放送開始当時TBS系列局がなかった富山県でもチューリップテレビ開局と同時にネット開始した。

セールス上の前番組は『仮面ライダーBLACK RX』だった。

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:前後番組

テンプレート:吉田拓郎

テンプレート:Asbox
  1. この時期はエンディングにも吉田の曲が使用された。
  2. 関口宏のサンデーモーニング』と『すてきな出逢い いい朝8時』も同様に、南海放送での放送をしばらくの間継続した。
  3. 本来『まんが日本昔ばなし』を放送すべき時間帯には、関西テレビ放送制作の『さんまのまんま』が編成されていた。また、本番組以来、2000年4月の『道浪漫』の朝7:30の移動まで、このMBS制作枠の番組のテレビ高知での放送は行われなかった。