四向四果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:Sidebar 四向四果 (しこうしか)とは、部派仏教や上座部仏教における修行の階位である。大乗仏教でも般若部の経典群(般若経)を中心に用いられることが少なくない。
内容
四向四果は、
- 預流 - 聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。須陀洹を指す。
- 一来 - 一回人と天の間を往来して悟りに至る位。斯陀含を指す。
- 不還 - 欲界には再び還らず色界に上って悟りに至る位。阿那含を指す。
- 応供 - 供養を受けるにふさわしい者で、今生の終りに悟り涅槃に至り再び三界には生れない位。阿羅漢を指す。
という4つの位階を「向」(進み入る段階)と「果」(成就した段階)に分けたもので、具体的には、
- 預流向(よるこう)
- 預流果(よるか)
- 一来向(いちらいこう)
- 一来果(いちらいか)
- 不還向(ふげんこう)
- 不還果(ふげんか)
- 応供向(おうぐこう) (阿羅漢向(あらかんこう))
- 応供果(おうぐか) (阿羅漢果(あらかんか))
のことを言う。
(大乗仏教の観点では声聞衆を指す。声聞衆とは未だ声聞乗に至らない修行者を示す。)
向と果の名称が同じ、八種の段階にある人ということで、四双八輩(しそうはっぱい)とも言う。
この4つの果を合わせて、「四沙門果」(ししゃもんか)とも言う。
成立
この四向四果の説が整えられたのは、部派仏教時代のアビダルマ教学においてだと考えられる[1]。それ以前の初期仏教においては、例えば『大般涅槃経』では、
の3つがこの順で示され、「不還」がそのまま涅槃到達(阿羅漢果)を意味しているなど、四向四果とはいくらか様相が異なる説明が混在している。
大乗『涅槃経』に見る解釈
大乗経典の『涅槃経』四依品では、これらの声聞衆と凡夫を人四依として挙げて、仏滅後の末世(すなわち末法)において正しく依るべき4種の人(四種人)としている。また、小乗(二乗)を批判して形成されたのが大乗仏教であるが、『涅槃経』においては、これら二乗を大乗の菩薩と同視するのが特徴である。
- 須陀洹・斯陀含は、もし正法を得れば正法を受持し、如来より法を聞けば書写・受持・読誦して他のために説く者で「すでに受記を得た菩薩」とする。
- 阿那含は、世間法に執られず大乗を説き、相続して絶えず永く欲を離れ、臨終の日に畏怖を生ぜず、再び欲界に還らず、すでに受記を得て、「久しからず悟りを成じる菩薩」とする。
- 阿羅漢は、菩薩の十地の境涯に住し、仏道を成ぜんと欲せば、いつでも成仏することができ、実は「如来と異なるところはない」とする。