喜多方ラーメン

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喜多方ラーメン(喜多方市)

喜多方ラーメン(きたかたラーメン)とは福島県喜多方市周辺で作られるご当地ラーメンご当地グルメ)である。

喜多方市(合併前の旧喜多方市)は人口37,043人に対し、120軒ほどのラーメン店がある(対人口比では日本一)。札幌ラーメン博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンの一つに数えられている。

喜多方では中高年層を中心に「そば」と言えばラーメンを指す事が多いが、この地域一帯はいわゆる「蕎麦」の産地でもあるため、ラーメンの事を指すときは「支那そば」と区別して呼ぶこともある。

特徴

スープは醤油味の透明な豚骨スープが基本で、あっさりした味わいである。豚骨のベースと煮干しのベースを別々に作り、それをブレンドしたものを提供する店もある。醤油味がベースだが、店によっては味や味噌仕立てなど千差万別である。 麺は「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、幅は約4mmの太麺、独特の縮れがあり、食感は柔らかい。麺は太めの平打ち縮れ麺を使っている。 具はチャーシューを主として、ネギ、メンマが基本。具はチャーシューねぎメンマなるとと一般的な構成である。尚、もやしを載せるのが一般的とする見解は誤りである。 同じ福島県のご当地ラーメンとして白河ラーメンがある。

歴史

昭和初期、市内ラーメン店「源来軒」の藩欽星が、中華麺に近い「支那そば」を打ち、屋台を引いたのが原点となっている。当時は、戦争の影響による食糧難の時代でもあり、この「支那そば」は市民にとって、すばらしいご馳走であり、その味は、市民生活に浸透していくこととなった。

市民の味となった源来軒から、その後、「支那そば」作りのノウハウを継承する人間が増え始め、市内の多くの「食堂」が「支那そば(中華そば)」をメニューに出すようになった。このような流れから、現在も、市内の多くのラーメン店が、「○○ラーメン」という屋号ではなく、「○○食堂」という屋号を使っているところが多い。

現在、喜多方市はラーメンの街で知られるが、喜多方市の観光の原点は、「」から始まる。市内の写真館「金田写真荘」の金田実が、四季を通して蔵の写真を500枚ほど撮り、その写真展を東京で開催したことで「蔵のまち喜多方」が浸透した。そのような流れの中、1975年(昭和50年)、NHKの「新日本紀行」で、「蔵のまち喜多方」が紹介されたことで、喜多方を訪れる観光客が急増した(「新日本紀行」での放映は、NHKプロデューサー須磨章が著した「蔵の夢」(三五館出版)に詳しい)。

喜多方市は、「新日本紀行」をきっかけに蔵の街として観光客が訪れる街となったが、一方で、蔵の観光だけでは、2、3時間程度の滞在となり、観光収益の増大のためには観光客の滞在時間の増加が課題となっていた。1982年(昭和57年)頃、市の商工観光課の職員は、団体の観光客の滞在時間増加を図るため、団体客のための昼食場所を探し始めたが、市内の日本料理屋には団体客を受け入れるスペースなどがないことから、市の御用達としているラーメン店に目をつけ、団体客用の昼食場所として、観光業者に紹介を行った。

市が紹介したラーメン店は「まこと食堂」であったが、1杯数百円の安い値段のお店を昼食場所に紹介することに一抹の不安もあったことから、民放の関係者を「まこと食堂」に連れて行き、意見などを聞いた結果、「まこと食堂」のラーメンが特徴的であるとのことから、民放のテレビ番組に取り上げられることとなった。同時に、観光協会が買い上げている日本交通公社(現JTB)の「るるぶ」のPR記事1ページ分に喜多方ラーメンが紹介され、更に、NHKなどでも取り上げられたことから、喜多方ラーメンが1982-3年頃よりよく知られる。

老麺会

1987年(昭和62年)、喜多方ラーメンがブームとなり一定の知名度を確立したことを受け、食堂(ラーメン店)・製麺業者・市・商工会議所が参加した、ラーメン関係業種懇談会が開催された。同会にて、ラーメン店のレベルアップ、伝統(太麺、平打ち、縮れ麺)の継承等を目的として「ラーメン会」の組織立ち上げが検討され、1987年3月4日、喜多方市の観光PRの一環として「蔵のまち喜多方 老麺会(くらのまちきたかたらーめんかい)」が発足した(「老麺まるや」の二代目店主が初代会長を務めた)。以後現在に至るまでラーメン店の同業者団体として喜多方ラーメンに関連する活動を行っている。発足当時は任意団体であったが、活動の強化を図るため、その環境整備の一環として2005年(平成17年)8月に協同組合へと組織変更されている。

喜多方市内(駅前、市役所、北町、三津谷、上三宮、熱塩加納周辺)に存在する店舗のうち、店先に「蔵のまち喜多方 老麺会」と描かれた紺色のノボリを設置している店舗がある。この店舗が「老麺会」に所属している店舗となる。源来軒、坂内食堂、あべ食堂等の人気店も老麺会の加盟店である。

老麺会では不定期に「老麺会まっぷ」を発行している。これは老麺会に加盟する店舗を一枚の簡略化された地図としてまとめたものであり、観光PR用として老麺会に参加する店舗等において無料配布されている(下記老麺会のサイトにも掲載されている)。また、老麺会に加入していない店舗も別表記にて掲載されている。

商標登録を求めた訴訟

地域ブランド確立のため、老麺会において地域団体商標制度での商標登録を目指したものの、特許庁は商標登録を認めないとの審決を行う。これを受けて、老麺会は審決取消しを求めた行政訴訟を提起した。

しかし、2010年10月に、第1審の知的財産高等裁判所は、老麺会への喜多方市内のラーメン店の加入率が低いこと、喜多方市外でも普及している名称であることから、「喜多方ラーメン」が老麺会とその加盟店だけの商品・サービスとして広く認識されているとはいえず、特許庁審決を妥当であると判断し、取消請求を棄却する判決をした[1]上告受理の申立てを行ったものの、2012年1月31日に最高裁判所第三小法廷が上告不受理決定を行ったことから、老麺会の請求を棄却した知財高裁の判決が確定し、商標登録できないこととなった[2]

代表的な店

  • 源来軒(喜多方ラーメン発祥の店)
  • まこと食堂(喜多方ラーメンとして紹介された最初の店)
  • 坂内食堂(喜多方ラーメン坂内・小法師の母体店的存在)
  • あべ食堂
  • はせ川
  • まるや(初代老麺会会長の店)

脚注・出典

  1. 出願商標「喜多方ラーメン」拒絶審決取消請求事件 - 牛木内外特許事務所サイト内
  2. 「喜多方ラーメン」商標登録認めず 「組合と加盟店だけの商品と認識されていない」 最高裁 MSN産経ニュース・2012年2月1日

関連項目

外部リンク

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