古市古墳群
日本有数の大型古墳が密集する古市古墳群(ふるいちこふんぐん)は、大阪府の東南部に位置する、羽曳野市・藤井寺市を中心に広がる古墳群で、4世紀末から6世紀前半頃までのおよそ150年の間に築造された。
東西約2.5キロ、南北4キロの範囲内に、誉田御廟山古墳(伝応神陵)など墳丘長200メートル以上の大型前方後円墳6基を含む、123基(現存87基)の古墳で構成されている。いずれも標高24メートル以上の台地や丘陵上にある。北部の誉田山古墳(伝応神陵)・仲津山古墳(伝仲津姫陵)・市ノ山古墳(伝允恭陵)・岡ミサンザイ古墳(伝仲哀陵)などの古い古墳群と南方の前ノ山古墳(白鳥陵)を中心とする前方部の著しく発達した西向きの新しい一群とに分けられる。相対的序列は、仲津山古墳、誉田山古墳・仲津山古墳・津堂城山古墳、市ノ山古墳・墓山古墳、河内大塚古墳、前ノ山古墳、ボケ山古墳、白髪山古墳、高屋城山古墳になるであろう。[1]
古墳造営には豪族の土師氏などが関与していたと考えられている。
現存する古墳のうち14基が2001年1月29日付けで一括して国の史跡に指定された。これら14基の古墳のうち12基は、1956年から1986年までの間に個別に国の史跡に指定されていた。2001年に既指定の史跡を1件に統合し、青山古墳と蕃所山古墳を追加指定したうえで、あらためて「古市古墳群」として指定したものである。
2008年9月26日、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を含む百舌鳥古墳群とともに世界遺産の国内暫定リストに追加された。歴史学や考古学の一部学会には、世界遺産登録やその登録条件となる文化財指定が、宮内庁管理下の天皇陵古墳の公開や発掘調査に道を開くものとして歓迎する声がある。
2008年から羽曳野市教育委員会が行った発掘調査で、高屋城山古墳(伝安閑天皇陵)の近辺で、これまで同古墳群内で未発見だった、6世紀中頃のものと思われる前方後円墳(城不動坂古墳)が発見された。安閑天皇の后らが祭られていた可能性も指摘されていたが、判明前に宅地開発によって破壊されてしまった[2]。
概要
墳形別の内訳
主な古墳
名 称 | 墳形 | 文化財指定 | 墳丘長 | 備考 |
---|---|---|---|---|
誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵) | 前方後円墳 | 国の史跡 | 425m | |
仲津山古墳(伝仲姫命仲津山陵・仲姫皇后陵) | 前方後円墳 | 286m | ||
岡ミサンザイ古墳(伝仲哀天皇陵) | 前方後円墳 | 242m | ||
市野山古墳(伝允恭天皇陵) | 前方後円墳 | 227m | ||
墓山古墳 | 前方後円墳 | 国の史跡 | 224m | (応神天皇陵陪塚) |
津堂城山古墳 | 前方後円墳 | 国の史跡 | 208m | (陵墓参考地) |
軽里大塚古墳(伝日本武尊陵) | 前方後円墳 | 190m | ||
野中宮山古墳 | 前方後円墳 | 154m | ||
古室山古墳 | 前方後円墳 | 国の史跡 | 150m | |
野中ボケ山古墳(伝仁賢天皇陵) | 前方後円墳 | 122m | ||
高屋城山古墳(伝安閑天皇陵) | 前方後円墳 | 122m | ||
白髪山古墳(伝清寧天皇陵) | 前方後円墳 | 115m | ||
大鳥塚古墳 | 前方後円墳 | 国の史跡 | 110m | |
はざみ山古墳 | 前方後円墳 | 国の史跡 | 103m | |
峯ヶ塚古墳 | 前方後円墳 | 国の史跡 | 96m | |
鉢塚古墳 | 前方後円墳 | 国の史跡 | 60m | |
赤面山古墳 | 方墳 | 国の史跡 | 一辺15m | |
鍋塚古墳 | 方墳 | 国の史跡 | 一辺50m | |
割塚古墳 | 方墳 | 一辺30m | ||
野中古墳 | 方墳 | 国の史跡 | 一辺37m | |
塚穴古墳(伝来目皇子墓) | 方墳 | 一辺50m | ||
三ツ塚古墳 | 1978年に修羅が出土 | |||
八島塚古墳 | 方墳 | 一辺50m | 三ツ塚古墳の一つ | |
中山塚古墳 | 方墳 | 一辺50m | 三ツ塚古墳の一つ | |
助太山古墳 | 方墳 | 国の史跡 | 一辺36m | 三ツ塚古墳の一つ |
青山古墳 | 円墳 | 国の史跡 | 60m | |
蕃所山古墳 | 円墳 | 国の史跡 | 22m | |
河内大塚山古墳 | 前方後円墳 | 335m | (陵墓参考地) |
(注)誉田御廟山古墳(伝応神陵)は外濠外提のみが国の史跡に指定されている。 河内大塚山古墳は羽曳野市と松原市にまたがる最も西寄りに存在し、学術的に古市古墳群へ含めない場合がある。
古市の大溝
1968年、航空写真から大溝が発見された。現存している部分もあるし、埋没している部分や池に利用されているところもある。幅20~30メートルの大溝が前方後円墳の墳丘の間を走っている。『日本書紀』仁徳十四年の条、感玖(こむく)の大溝かと推定されている。「古市の大溝」と名づけられている。この溝は、古市古墳群形成の過程で掘削され、数度の改築の跡が残っている。八世紀には埋没してしまったところも出て来る。
1978年に、三ツ塚古墳から古代の運搬具・修羅が出土し、話題となった。
交通アクセス
脚注
- ↑ 「畿内における大形古墳群の消長」白石太一郎 『考古学研究』第16巻1号 1969年1月
- ↑ 未知の前方後円墳なのに…住宅開発で石室破壊 安閑天皇陵近く 産経新聞 2011年1月23日
関連項目
- 百舌鳥古墳群:古市古墳群と並ぶ大阪府内の二大古墳群のひとつ。
- 日本の古墳一覧
- 日本の大規模古墳一覧
- 日本の古墳画像一覧
周辺情報
外部リンク
- ライブラリー古市古墳群 - 藤井寺市
- 古墳分布状況 - 航空写真(羽曳野市提供)、イラスト(藤井寺市)
- 国土地理院地図閲覧システム-2万5千分1地形図名:古市(和歌山)(誉田御廟山古墳を中心とする)