電子ニュートリノ
電子ニュートリノ(electron neutrino)は、素粒子標準模型における第一世代のニュートリノである。レプトンの三世代構造において、同じく第一世代の荷電レプトンである電子と対をなすため、電子ニュートリノと名付けられた。
ベータ崩壊の過程で運動量とエネルギーが喪失するという現象から、1930年にヴォルフガング・パウリによって予測され、1956年にフレデリック・ライネスとクライド・カワンによって最初に検出された[1]。
予測
1900年代初め、理論によりベータ崩壊によって特定のエネルギーを持った電子が放出されると予測された。しかし1914年、ジェームズ・チャドウィックは連続したスペクトルを持つことを示した[1]。
1930年、ヴォルフガング・パウリは未発見の粒子がエネルギー、運動量、角運動量を持ち去っているという理論を提案した[nb 1][2]。
1930年12月4日、パウリはチューリヒのPhysical Institute of the Federal Institute of Technologyに宛てて有名な手紙を書き、その中でベータ崩壊における連続スペクトルの問題を解決するために電子ニュートリノの存在を提案した。この手紙の全文の翻訳はPhysics Today誌の1978年9月号で読むことができる[3]。
発見
β崩壊のニュートリノを検出する装置は、1942年に王淦昌によって初めて考案された[4]。そして、電子ニュートリノは、1956年にフレデリック・ライネスとクライド・カワンによって初めて検出された[1][5]。この業績により、フレデリック・ライネスは1995年のノーベル物理学賞を受賞した。
命名
パウリは当初この粒子をニュートロン(neutron)と名づけた。しかしジェームズ・チャドウィックが1932年により重い核粒子を発見して中性子(neutron)と名付けると、2つの別の粒子が同じ名前で呼ばれることとなった。ベータ崩壊の理論を発展させたエンリコ・フェルミは1934年にニュートリノという新しい言葉を作り、この問題を解決した。この言葉はイタリア語でneutronと同じ意味である[6]。
二つ目のニュートリノの存在が予測・発見されると、ニュートリノの種類を区別することが重要になった。現在では、パウリのニュートリノは電子ニュートリノと呼ばれ、二つ目のニュートリノはミューニュートリノと呼ばれている。しかし、歴史的な経緯から、単にニュートリノと言った場合には電子ニュートリノを指すことが多い。
脚注
出典
参考文献
テンプレート:レプトン- ↑ 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite journal
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- ↑ テンプレート:Cite book
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