北高来郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

日本 > 長崎県 > 北高来郡

ファイル:Nagasaki Kitatakaki.png
北高来郡の県内位置図(消滅時点)

北高来郡(きたたかきぐん)は、長崎県にあったである。人口31,482人、面積128.81 km²(2003年)。

消滅直前となる2005年2月28日の時点で、以下の4町を含んでいた。

2005年3月1日、4町が諫早市西彼杵郡多良見町と合併し、新制の諫早市となったため消滅した。

歴史

明治時代、古来の高来郡島原半島南高来郡とそれ以外の北高来郡に分割して成立した。中世の伊佐早荘を領有した西郷氏の領国を江戸時代に龍造寺氏の分家筋である佐賀藩重臣諫早家内私領として領有統治した領地が郡の由来である。

沿革

  • 1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法制定に伴い、長崎県高来郡北高来郡と南高来郡に分割したことで発足。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、北高来郡に諫早町と17の村が成立。(1町17村)
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 諫早町・北諫早村・諫早村が合併し、諫早町が発足。(1町15村)
  • 1940年(昭和15年)9月1日 - 諫早町・小栗村・小野村・有喜村・真津山村・本野村・長田村が合併し、諫早市が発足、郡より離脱。(9村)
  • 1940年(昭和15年)11月3日 - 湯江村が町制施行し湯江町となる。(1町8村)
  • 1955年(昭和30年)2月11日(1町5村)
    • 江ノ浦村・田結村が合併し、飯盛村が発足。
    • 古賀村・戸石村が西彼杵郡矢上村と合併し、西彼杵郡東長崎町が発足、郡より離脱。
  • 1956年(昭和31年)9月20日 - 湯江町・深海村・小江村が合併し、高来町が発足。(1町3村)
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 飯盛村が町制施行し飯盛町となる。(2町2村)
  • 1966年(昭和41年)11月1日 - 小長井村が町制施行し小長井町となる。(3町1村)
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 森山村が町制施行し森山町となる。(4町)
  • 2005年(平成17年)3月1日 - 森山町・飯盛町・高来町・小長井町が諫早市、西彼杵郡多良見町と合併し、諫早市が発足、郡より離脱。同日北高来郡消滅。


明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和34年 昭和35年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
諫早町 大正12年4月1日
諫早町
昭和15年9月1日
諫早市
諫早市 諫早市 平成17年3月1日
諫早市
諫早市
諫早村
北諫早村
小栗村 小栗村
本野村 本野村
真津山村 真津山村
有喜村 有喜村
小野村 小野村
長田村 長田村
田結村 田結村 田結村 昭和30年2月11日
飯盛村
昭和40年4月1日
町制
江ノ浦村 江ノ浦村 江ノ浦村
森山村 森山村 森山村 森山村 昭和44年4月1日
町制
湯江村 湯江村 昭和15年11月3日
町制
昭和31年9月20日
高来町
高来町
小江村 小江村 小江村
深海村 深海村 深海村
小長井村 小長井村 小長井村 小長井村 昭和41年11月1日
町制
古賀村 古賀村 古賀村 昭和30年2月11日
西彼杵郡
東長崎町の一部
昭和38年4月20日
長崎市に編入
長崎市
戸石村 戸石村 戸石村

関連項目