北条義宗
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北条 義宗(ほうじょう よしむね)は、鎌倉時代中期の北条氏一門。赤橋義宗とも称される。鎌倉幕府第6代執権・北条長時の嫡男。赤橋流北条氏二代当主。
略歴
叔父・北条時茂の没後、その後任として六波羅探題北方となった。着任早々の文永9年(1272年)に執権・北条時宗の命により時宗の異母兄・北条時輔追討を命じられ、二月騒動で討ち取る。同年には嫡子の久時が生まれた。建治2年(1276年)に鎌倉に下向、翌年評定衆に任ぜられるがまもなく没した。享年25。
経歴
※日付=旧暦
- 1268年(文永5)12月16日、従五位下に叙し、左近衛将監に任官。
- 1271年(文永8)11月27日、幕府の六波羅探題北方として赴任。
- 1276年(建治2)12月4日、六波羅探題を退任。
- 1277年(建治3)6月17日、駿河守に転任し、評定衆と就る。8月17日、卒去。
備考
- 最後(16代目)の執権・北条守時、鎮西探題となった北条英時、足利尊氏正室の赤橋登子は孫にあたる。義宗が若くして死去したため、いずれも義宗死後に生まれていることになる。
- 諱の「宗」の字は、元服時に将軍・宗尊親王より偏諱を受けたものとされる[1]。
登場作品
- 北条時宗 (NHK大河ドラマ) - 演:宮迫博之
関連項目
脚注
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