劉度
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テンプレート:特殊文字 劉 度(りゅう ど/りゅう たく[1]、生没年不詳)は、中国の後漢時代末期の政治家、武将。
正史の事跡
姓名 | 劉度 |
---|---|
時代 | 後漢時代 |
生没年 | 〔不詳〕 |
字・別号 | 〔不詳〕 |
出身地 | 〔不詳〕 |
職官 | 零陵太守 |
爵位・号等 | - |
陣営・所属等 | 曹操→劉備 |
家族・一族 | 〔不詳〕 |
曹操により任命された荊州零陵郡の太守。建安14年(209年)、劉備が荊州南部4郡を接収しようと進攻してくると、劉度は他の郡の太守(金旋、韓玄、趙範)と同様に降伏した。その後は、生死も含めて動向は不明である。
物語の劉度
小説『三国志演義』でも零陵太守として登場するが、劉賢(版によっては「劉延」)という子がいることになっている。劉度自身は劉備軍と戦うことに消極的だったが、抗戦を主張する劉賢に押されて、劉賢と大将の邢道栄を出撃させた。しかし、邢道栄は戦死し、劉賢も生け捕られたため、開城して劉備に降伏する。降伏後、劉備によって改めて零陵太守に任じられた。