倉渕村
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倉渕村(くらぶちむら)は、群馬県の西部にあった村である。倉田村と烏淵村の合併によって現在の形になった。高崎市への通勤率は12.9%(平成17年国勢調査)。
連合赤軍が山岳ベース事件における「総括」で死なせた仲間の遺体を埋葬した場所でもある。
2006年1月23日に多野郡新町、群馬郡群馬町・箕郷町と共に高崎市へ編入された。
目次
地理
隣接している自治体
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、西群馬郡倉田村、碓氷郡烏淵村が誕生。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 西群馬郡と片岡郡が合併し、群馬郡が成立。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 群馬郡倉田村と碓氷郡烏淵村が合併し、倉淵村誕生。村名は合成地名。
- 1996年(平成8年)7月1日 - 倉淵村から、倉渕村に改称。
- 2006年(平成18年)1月23日 - 新町、群馬町、箕郷町とともに高崎市へ編入される。
行政
- 村長:市川平治
経済
産業
- 特産物
- みょうが・トマト・ほうれん草、なめこ・しいたけ・お米(はんでえ米)・お酒(大盃・牧野酒造)
- 林業が盛ん
姉妹都市・提携都市
- 横須賀製鉄所をつくるにあたり尽力した小栗忠順の縁[1]。倉渕村の一部となった権田は小栗の領地であり、終焉の地でもある[2]。倉渕村の高崎市への編入後も、横須賀市と倉渕地域との交流は継続されることとなった[2]。
- 倉渕村には横須賀市の市制施行80周年記念事業の一環として横須賀市民休養村「はまゆう山荘」が建設され、2005年(平成17年)10月1日に横須賀市から倉渕村に譲渡された[1]。
地域
教育
- 小学校
- 倉渕村立中央小学校
- 倉渕村立川浦小学校
- 倉渕村立東小学校
- 中学校
- 倉渕村立倉渕中学校
交通
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 都道府県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 烏川渓谷公園
- 相間川温泉
- 幕府御用材搬出御会所跡(倉渕村大字川浦字高芝27-5)
出身有名人
関連人物
その他
脚注
関連項目
外部リンク
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