佐藤寛子 (首相夫人)
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佐藤 寛子(さとう ひろこ、1907年1月5日 - 1987年4月16日)は、日本の内閣総理大臣佐藤栄作の妻。日本の歴代首相夫人の中では三木睦子と並んで著名な人物であると見る向きもある。
人物
山口県熊毛郡田布施町に佐藤家本家の松介・藤枝夫妻の長女として生まれる。父・松介は明治の中頃、東京帝国大学医科大学を出て、岡山医専教授を務めた。母・藤枝は外相・松岡洋右の妹にあたる。
青山女学院(現在の青山学院)英文科を卒業する。佐藤家本家は女子しか生まれなかったので、分家(松介の姉・茂世と岸家からの婿養子・秀助の夫妻)の三男である栄作を本家の婿養子にすることとなり、寛子は従兄にあたる栄作と1926年に結婚した[1]。栄作・寛子夫妻は2男をもうけた。
1969年沖縄返還協定調印のため、夫に同行して渡米した際に、ミニスカートを穿いて話題となった。栄作の死後も女性週刊誌の対談等に登場するなど、マスメディアに多く取り上げられた。栄作が東京・築地の料亭「新喜楽」で脳卒中発作のため倒れた時、行き届いた治療ができる病院への搬送を勧める医師らの申し出を頑として拒み続けた。脳卒中は動かしてはならないという俗説をかたくなに信じたからだといわれている。
越路吹雪のファンとしても有名で、越路吹雪後援会長を務めた。また1975年4月6日放送の「アップダウンクイズ」(ネットチェンジに伴うTBS系での初放送)ではシルエットゲストを務めたほか、晩年までワイドショーなど多くのテレビ番組に出演している。他にも船橋予備校名誉理事長を務めた。
著書に「花-追想」、「宰相夫人秘録」(朝日新聞社、文庫でも再刊)等がある。