伏木富山港
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テンプレート:Infobox 港 伏木富山港(ふしきとやまこう)は、富山県高岡市と富山市、射水市にわたる港湾の総称である。港湾管理者は富山県。
富山湾沿岸奥部の3つの港域によって形成されており、高岡市の伏木地区(伏木港)、富山市の富山地区(富山港)、射水市の新湊地区(富山新港)の3地区が所在する。
港湾法上の国際拠点港湾、港則法上の特定港に指定されているほか、日本海側拠点港のうち総合的拠点港と、部門別では国際海上コンテナ、国際フェリー・国際RORO船、外航クルーズ(背後観光地クルーズ)の3部門の拠点港に指定されている。
概要
富山湾岸に位置し、富山県及び北陸地方の主要な港湾である。富山県を含む北陸工業地域、ひいては中華人民共和国、大韓民国、ロシアなど、環日本海圏の交易拠点として重要な役割を担っている。東京都市圏(首都圏)、名古屋都市圏(中京圏)、及び大阪都市圏とほぼ等距離に位置する。
旅客航路
以前は極東船舶会社(FESCO)が貨客船のルーシ号により伏木港とウラジオストクを結ぶ旅客航路を月に2 - 5便運航していた。しかし、ロシアの中古車輸入規制に伴う利用者減少のため、2009年12月25日を最後に運行を休止し、ルーシ号は売却された。
飛鳥IIなどのクルーズ客船が伏木港や富山新港(海王丸パーク)などに寄港することが増えている。
歴史
- 746年:大伴家持が越中国国守として国府のあった伏木に赴任、当地で5年を過ごし多数の和歌を詠む。
- 室町時代から岩瀬湊として三津七湊の1つ。
- 江戸時代:富山の岩瀬も新湊の放生津も高岡の伏木も北前船(西回り廻船・北国廻船)の寄港地として栄える[1]。
- 1875年:地元廻船問屋の藤井能三の働きかけにより伏木港が岩崎弥太郎の三菱商会の汽船定期航路の寄港地となる。
- 1877年:日本海側で最初の洋式灯台「伏木燈明台」が完成[2]。
- 1899年:伏木が開港場に指定される[2]。
- 1939年:富山港が開港場に指定される。
- 1951年:伏木港と富山港が「伏木富山港」として統合し、重要港湾に指定される。
- 1968年4月21日:富山新港が開港。
- 1986年6月17日:「伏木富山港」が特定重要港湾(現・国際拠点港湾)に昇格指定される。
- 2011年11月11日:「伏木富山港」が日本海側拠点港(総合的拠点港)指定される。
- 2012年(平成24年)9月23日:新湊大橋が開通して3港の連携が拡大。
施設
埠頭
- 伏木港(伏木地区) - [[[:テンプレート:座標URL]]36_47_30.69_N_137_3_58.59_E_scale:10000 位置]
- 伏木万葉埠頭[3]
- 富山港(富山地区) - [[[:テンプレート:座標URL]]36_45_36.32_N_137_13_34.08_E_scale:10000 位置]
- 岩瀬埠頭
- 富山新港(新湊地区)[4] - [[[:テンプレート:座標URL]]36_46_15.93_N_137_7_4.34_E_scale:10000 位置]
- 中央埠頭、北埠頭、東埠頭、南埠頭
発電設備
レジャー施設
交通
環境
伏木富山港のヘドロにはダイオキシン類が含まれており、その面積は41haで、環境基準を超過する汚染底質量は286,000m3であり、底質汚染のダイオキシン類濃度は160 - 10,000 pg-TEQ/gと国土交通省が発表している。
参考文献
脚注
関連項目
外部リンク
- 伏木富山港湾事務所(国土交通省北陸地方整備局)
- 伏木港事務所、富山港事務所、富山新港管理局 - 富山県
- 富山新港元気の森公園(富山県射水市)
- 伏木港開港の祖、藤井能三 - 社団法人日本埋立浚渫協会