仁摩町
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テンプレート:Infobox 仁摩町(にまちょう)は島根県邇摩郡にあった町。
2005年10月1日、大田市、温泉津町と合併し、新市制による大田市となり廃止した。
地理
島根県の中央部に位置し、東は大田市、南は温泉津町に接し、西は日本海に面する。総面積の76%が丘陵地帯で、畑作と漁業が主な産業であった。古くから左官の出稼ぎ地としても有名。
歴史
古代の石見国邇摩郡の地で、郡家も仁万平野にあった。中世には豪族・久利氏が支配し、大内氏、尼子氏、毛利氏に従った。石見銀山が開発されると、鞆ヶ浦から博多に銀が積み出された。江戸時代には幕府直轄地となり、石見銀山領の佐摩組に編成された。
1869年には大森県(後、浜田県)に入り、1876年島根県に入った。1936年町制が施行されて仁万村は仁万町となり、1954年に仁万町、宅野村、大国村、馬路村が合併して仁摩町が成立した。町名は仁万町と邇摩郡の合成地名である。当時の人口は9,983人だったが、過疎化が進んでいる。1991年、世界最大の巨大1年砂時計が作られた。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、仁万村、宅野村、明治村が成立。
- 1891年(明治24年)4月1日 - 明治村が馬路村と大国村に分割された。
- 1936年(昭和11年)5月10日 - 仁万村が町制施行して仁万町となった。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 仁万町・宅野村・馬路村・大国村が合併し、仁摩町が発足。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 仁摩町・温泉津町が大田市と合併し、大田市が発足、同日邇摩郡消滅。
経済
産業
漁業
- 仁万漁港
- 友漁港
教育
- 島根県立邇摩高等学校
- 町立仁摩中学校
- 町立仁摩小学校(1976年に町立大国小学校、宅野小学校、仁万小学校、馬路小学校を統合)