乾龍介
テンプレート:BLP unsourced テンプレート:基礎情報 アナウンサー 乾 龍介(いぬい りゅうすけ、1947年4月1日 - )は朝日放送コンプライアンス室顧問、フリーアナウンサー。朝日新聞主催映画選考委員。
略歴・人物
1965年に大阪府立旭高等学校を、1969年に大阪教育大学を卒業後、朝日放送に入社[1]。中学校・高等学校の数学の教員免許を所持。
アナウンサーとして20代は主にラジオ番組で活躍。深夜放送「ABCヤングリクエスト」や「ナウ・フィーリング」に出演。また1972年(昭和47年)の朝日放送ラジオの出力増強の際には「1010カーくりげ」と称して、新たに朝日放送ラジオが聴けるようになった西日本、北陸地方などを自動車で回り、各地から取材レポートを入れる企画を一週間に亘って担当した。その後、夕方のワイド番組「おしゃべり横丁ABC〜花と龍介60分〜」などを担当する。
1979年4月から1986年3月まで、テレビ「おはよう朝日です」の初代司会を務める。その後、ラジオ「トヨタ・ウィークエンドパトロール」に出演。1986年10月から1年間、ラジオで夜の情報ワイド番組「乾龍介のホットポイント」を担当した。
1989年10月からは夕方のローカルニュース番組「600ステーションABC」、続く「ABC News Report」のキャスターを務める。その後アナウンス部長を経て経営企画室に異動するが、1999年には再び制作現場に復帰、1月からラジオ「毛利千代子・旅のハーモニー」のパートナーを務め、同年4月からはラジオの午前ワイド「東西南北 龍介がゆく」を2003年9月まで担当した。番組終了後、編成局コメンテーターを経て、2005年4月にコンプライアンス室に異動、2008年4月に定年を迎え、コンプライアンス室顧問に就任した。
2008年6月22日まで、毎週日曜日深夜(月曜未明)のラジオの放送終了アナウンスを担当していた。
朝日新聞主催の映画選考委員を務めるほか、2008年3月まで奈良県奈良市のコミュニティ放送局「ならどっとFM」で月1回「乾龍介の映画試写室」のパーソナリティーを務めた。
2009年4月4日より、ラジオ大阪で「幸せラジオ 乾龍介です!」を放送開始(2012年3月まで放送)。
過去の担当番組
テレビ
ABC時代
- おはよう朝日です(1979年4月 - 1986年3月)
- 1986年 衆参同日選挙開票速報「選挙ステーション」(東京・大阪二元中継ティーチイン)
- 旅はデリシャス(1988年1月 - 1988年3月)
- いい話みつけ旅(ナレーター、1988年4月3日 - 1988年9月25日)
- 600ステーションABC(1989年4月 - 1991年3月)
- ABC News Report(1991年4月 - 1994年3月)
- クイズABC
ラジオ
ABC時代
- ナウ・フィーリング1010
- ABCヤングリクエスト(1970年 - 1975年)
- ABCディスカバー・サタデー〜フレンドリー大丸〜(1972年5月6日 - 12月9日)
- おしゃべり横丁ABC(1975年3月31日 - 1979年3月30日)
- トヨタ・ウィークエンドパトロール
- 歌謡曲ぶっつけ本番(1986年)
- 日産ミュージックギャラリー ポップ対歌謡曲(1987年)
- 乾龍介のホットポイント(1986年10月6日 - 1987年9月25日)
- 毛利千代子 旅のハーモニー(1999年1月 - 1999年3月)
- 東西南北 龍介がゆく(1999年4月 - 2003年9月)
- 乾龍介の得々朝市
- ラジオの放送終了(日曜深夜アナウンス、- 2008年6月22日)
フリー後
- 乾龍介の映画試写室( - 2008年3月、ならどっとFM)
- 街角ステーション 僕らのラジオ(2008年11月25日、(ラジオチャリティーミュージックソンに出演した松本恵治の代役)、ラジオ大阪)
- 幸せラジオ 乾龍介です!(2009年4月4日 - 2012年3月、ラジオ大阪)
- 元気出せ!ニッポン (2010年2月 - 2012年4月、ラジオ日本、東海ラジオ、ラジオ大阪、高知放送、青森放送、山梨放送、山口放送、ラジオ福島、西日本放送、ラジオ沖縄)