ブラディミール・ゲレーロ

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テンプレート:Infobox baseball player ブラディミール・アルビーノ・ゲレーロVladimir Alvino Guerrero, 1975年2月9日 - )は、ドミニカ共和国ペラビア州ニザオ出身の元プロ野球選手外野手)。右投げ右打ち。

2004年のアメリカンリーグMVPオールスターには2010年までに合計9回選出されている。愛称は"Vlad"(ブラッド)。又は"Vlad the Impaler"(ブラッド・ザ・インペーラー)

兄のウィルトン・ゲレーロも元・メジャーリーガーで、エクスポズ時代に一緒にプレーしている。

経歴

エクスポズ時代

16歳の時にロサンゼルス・ドジャースのドミニカアカデミーのテストを8週間受けたが不合格で、その後テキサス・レンジャーズのテストも不合格だった[1]。しかし、モントリオール・エクスポズはゲレーロの強肩やスピードに魅力を感じ[1]テンプレート:By3月1日、ドラフト外で入団[2]

テンプレート:Byテンプレート:Byと2年連続で球団マイナー最優秀選手に選出され[3]テンプレート:ByはA級とAA級でプレイし、AA級では打率.360、19本塁打、78打点の成績で、イースタンリーグ最優秀新人選手に選出された[3]。9月19日の対アトランタ・ブレーブス戦においてメジャーデビュー。

テンプレート:Byは開幕を故障者リスト入りで迎えるなど計3回も故障者リストに入ってしまった。90試合にしか出場できなかったが、打率.302・11本塁打・40打点を記録し、新人王投票では6位に入った。

テンプレート:Byにメジャーに定着し、7月には打率.385・11本塁打・27打点を記録し、プレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞した[4]。159試合に出場し、球団新記録の38本塁打を放ち、球団史上最年少で30本塁打・200本安打・[4]MVPの投票では13位に入り、オフに財政難のエクスポズにとって異例の5年総額2800万ドルで契約延長[1]

テンプレート:By、前年より打率こそ落としたものの、初めてオールスターに出場し、7月27日から8月26日にかけて球団新記録となる31試合連続安打を達成し[5]。球団記録を更新する42本塁打、131打点を記録[6]。打撃二部門で自己最高の記録を残し、初のシルバースラッガー賞を受賞。

テンプレート:By、自己最多の44本塁打を記録し、テンプレート:Byには34本塁打37盗塁を記録し、球団史上初めて30本塁打、30盗塁を達成[7]テンプレート:Byは7月20日に1000本安打を達成し、8月9日に200本塁打を達成。9月4日にはティム・レインズのシーズン最多敬遠球団記録(26回、1986年)を更新するシーズン27回目の敬遠を記録し、32まで記録を伸ばした[8]。リーグ最多、球団新記録[6]となる206安打を記録し、39本塁打40盗塁と1本塁打足りず40-40クラブ入りを逃した。

契約最終年となったテンプレート:Byは故障の影響でわずか112試合の出場に留まった。シーズン終了後FAとなりテンプレート:By1月14日、5年総額7,000万ドルでロサンゼルス・エンゼルスへ移籍した。英語が話せないため、入団会見の際にはエンゼルスオーナーのアルトゥーロ・モレノが臨時で通訳を行った[9]

エンゼルス時代

テンプレート:Byは2000年から2002年までの間に残した3年間の平均成績を上回る打率.337、39本塁打、126打点を記録。また、リーグ1位、球団新記録となる124得点を記録し、2000年にダリン・アースタッドが記録したシーズン最多塁打記録に並ぶ366塁打を記録[10]。シーズン終盤の9月・10月には打率.363・11本塁打・25打点を記録し、月間MVPに選出され、オークランド・アスレチックスを破り、チーム18年ぶりの地区優勝の原動力となった(ワールドチャンピオンの2002年はワイルドカード[11]。シーズン終了後にMVPに選出された。ゲレーロにとって初のプレーオフとなったが、ボストン・レッドソックスとのディビジョンシリーズでは打率.167と不調で、チームも1勝もできず敗退。

テンプレート:Byは5月20日から6月10日までを故障で欠場したが、6月の月間打率球団新記録となる打率.443を記録し、9月2日には300本塁打を達成[12]テンプレート:Byは膝を痛めた影響で外野手としてはリーグ最多の11失策を記録するなど守備で精彩を欠き、指名打者として出場することが増えた。

テンプレート:ByMLBホームランダービーに7年ぶりに出場し、アルバート・プホルスライアン・ハワードといった強打者を抑え、見事初優勝を飾った。

デビュー年を除き打率3割を下回ったことがなかったが、テンプレート:Byは6月6日時点で打率.254。ゲレーロはスランプ状態と認め、6月1日には三塁に滑り込んだ際に右ひざを負傷し、3試合を欠場[13]。前年まで4年連続で先発出場していたオールスターに選出されずにいた。7月29日にマーク・テシェイラが加入し、マイク・ソーシア監督はテシェーラを攻撃の基点を作ることがうまく、前後の打者は打ちやすいと絶賛し、前半戦.286だった打率は後半戦は.330と復調[14]ルー・ゲーリックに並ぶ、11年連続3割25本塁打を達成し、球団はシーズン終了後の10月28日に1,550万ドルのオプションを行使[15]。しかし、膝の手術のため第二回WBCドミニカ共和国代表の辞退が決まった[16]

2009年は怪我の影響もあり、11年継続してきた3割25本塁打が途絶えたばかりか、メジャー定着後最低の成績に終わった。出場100試合のほとんどが指名打者としてであり、高額年俸や守備への不安から、翌年以降の新契約は難航すると見られていた。

レンジャーズ時代

テンプレート:By、1月9日にテキサス・レンジャーズ入団が決定した。背番号はロサンゼルス・エンゼルス時代と同じ「27」に決定。 レギュラーシーズンでは、1年間故障者リストに入ることなく、2年ぶりの3割、3年ぶりの100打点を記録した。チームのリーグ優勝に貢献し、指名打者としてシルバースラッガー賞を受賞した。

オリオールズ時代

テンプレート:By2月18日にFAでボルチモア・オリオールズに移籍した。オフにFAに。

ブルージェイズ傘下時代

テンプレート:Byは、開幕をFAで迎えた。5月10日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。[17][18]5月27日にA+のダニーデン・ブルージェイズの試合に出場し本塁打を放った。その後、AAAのラスベガス・フィフティワンズび昇格した。6月12日に球団に退団を求め、球団が合意し放出された。[19]

その後

2012年11月4日に、故郷ドミニカの野球リーグでプレーした。

テンプレート:By4月4日に、アトランティックリーグロングアイランド・ダックスと契約を結んだ[20]が、同年9月13日に引退を表明した。

プレイスタイル

打撃・走塁

打撃時に素手でバットを握って打席に立つ、メジャーでも数少ない選手の一人。いつもヘルメットが汚れているようにみえるのは、手のすべり止めのための松脂をヘルメットに塗りつけているためである。ストライクゾーンから外れた球を打てる「バッドボール・ヒッター(悪球打ち)」で、打てる球ならばワンバウンドするようなボールだろうが首の高さのアウトコースのボールだろうが何でもかんでも振りに来る。通常、投手は半分を上回る確率でストライクゾーンへ投げるが、ゲレーロに対しては32%(2007年)しか投げていない[21]。チームバッティングが必要な場面では逆方向(ライト方向)に弾き返す器用さもあり[22]、投手にとってはまともに勝負するのが難しい一筋縄ではいかないバッターである。早打ちの傾向も手伝って三振は少ない。また、2001年に本塁打34・盗塁37、2002年に本塁打39・盗塁40(いわゆる30-30クラブのメンバー)を記録するなど俊足でもあった[23]

守備

肩は現役最強と言われるほど強く[21]、ライト最深部からサードへノーバウンドで送球することができる。ただややコントロールに難があり、2004年の失策9個のうち6個は送球エラーによるものである。その送球技術の雑さと力任せの豪快な投げ方から「バズーカ」(対戦車砲)と呼ばれたことがあるテンプレート:要出典
打球判断も悪く、打球処理も非常に雑であるため、その強肩を以てしてもゴールドグラブ賞とは無縁だった。[23]。特に、エクスポズ時代は、毎年のように2ケタ補殺と2ケタ失策を記録しており、1999年には15補殺ながら、19外野失策を喫している。何でもないイージーフライを落球することもしばしば見られた。
エクスポズの本拠地オリンピック・スタジアムで長年、外野手としてプレーしたが、膝を故障したことで守備に就けなくなってしまった。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 MON 9 27 27 2 5 0 0 1 8 1 0 0 0 0 0 0 0 3 1 .185 .185 .296 .481
テンプレート:By2 90 354 325 44 98 22 2 11 157 40 3 4 0 3 19 2 7 39 11 .302 .350 .483 .833
テンプレート:By2 159 677 623 108 202 37 7 38 367 109 11 9 0 5 42 13 7 95 15 .324 .371 .589 .960
テンプレート:By2 160 674 610 102 193 37 5 42 366 131 14 7 0 2 55 14 7 62 18 .316 .378 .600 .978
テンプレート:By2 154 641 571 101 197 28 11 44 379 123 9 10 0 4 58 23 8 74 15 .345 .410 .664 1.074
テンプレート:By2 159 671 599 107 184 45 4 34 339 108 37 16 0 3 60 24 9 88 24 .307 .377 .566 .943
テンプレート:By2 161 709 614 106 206 37 2 39 364 111 40 20 0 5 84 32 6 70 20 .336 .417 .593 1.010
テンプレート:By2 112 467 394 71 130 20 3 25 231 79 9 5 0 4 63 22 6 53 18 .330 .426 .586 1.012
テンプレート:By2 ANA
LAA
156 680 612 124 206 39 2 39 366 126 15 3 0 8 52 14 8 74 19 .337 .391 .598 .989
テンプレート:By2 141 594 520 95 165 29 2 32 294 108 13 1 0 5 61 26 8 48 17 .317 .394 .565 .959
テンプレート:By2 156 665 607 92 200 34 1 33 335 116 15 5 0 4 50 25 4 68 16 .329 .382 .552 .934
テンプレート:By2 150 660 574 89 186 45 1 27 314 125 2 3 0 6 71 28 9 62 19 .324 .403 .547 .950
テンプレート:By2 143 600 541 85 164 31 3 27 282 91 5 3 0 4 51 16 4 77 27 .303 .365 .521 .886
テンプレート:By2 100 407 383 59 113 16 1 15 176 50 2 1 0 1 19 3 4 56 16 .295 .334 .460 .794
テンプレート:By2 TEX 152 643 593 83 178 27 1 29 294 115 4 5 0 6 35 5 9 60 19 .300 .345 .496 .841
テンプレート:By2 BAL 145 590 562 60 163 30 1 13 234 63 2 2 0 4 17 3 7 56 23 .290 .317 .416 .733
通算:16年 2217 9059 8155 1328 2590 477 46 449 4506 1496 181 94 0 64 737 250 103 985 277 .318 .379 .553 .932
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ANA(アナハイム・エンゼルス)は、2005年にLAA(ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)に球団名を変更

タイトル・表彰

背番号

  • 27 (1996年 - 2011年)

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister テンプレート:MLBstats

テンプレート:Navboxes

テンプレート:2006 ワールド・ベースボール・クラシックドミニカ共和国代表
  1. 1.0 1.1 1.2 「ドミニカが生んだ「無限の可能性」 ブラディミール・ゲレーロ」『月刊メジャー・リーグ』2000年7月号、ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08625-7、13 - 15項。
  2. テンプレート:Cite web
  3. 3.0 3.1 テンプレート:Cite web
  4. 4.0 4.1 テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. 6.0 6.1 テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite web
  9. 『月刊スラッガー』2004年3月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-2、82頁。
  10. テンプレート:Cite web
  11. テンプレート:Cite book
  12. テンプレート:Cite web
  13. 小林信行 「MLB30球団レポート&全選手個人成績 ロサンゼルス・エンジェルス/LAA チームは首位を走るも、怪物はスランプ」『スラッガー』2008年8月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-8、79項。
  14. 小林信行 「MLB30球団レポート&全選手個人成績 ロサンゼルス・エンジェルス/LAA テシェーラの恩恵を最も受けているのは彼」『スラッガー』2008年10月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-10、79項。
  15. テンプレート:Cite web
  16. テンプレート:Cite web
  17. Bautista sees Vlad as good fit
  18. Blue Jays Sign Vladimir Guerrero
  19. Blue Jays Release Vladimir Guerrero
  20. VLADIMIR GUERRERO SIGNS WITH DUCKS
  21. 21.0 21.1 三尾圭「エンジェルスが実践するベースボール ソーシアボール」『スラッガー』2008年7月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-7、16 - 19項
  22. テンプレート:Cite book
  23. 23.0 23.1 テンプレート:Cite web