ランドスケープ

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ランドスケープテンプレート:Lang-en)は、景観を構成する諸要素。ある土地における、資源環境歴史などの要素が構築する政治的、経済的、社会シンボル空間。または、そのシンボル群や空間が作る都市そのもの。

ランドスケープ・アーキテクチャー (landscape architecture) は、土地が持つ諸要素を基盤にして、都市空間や造園空間、建築群(まちなみ等)といったランドスケープを設計、構築することをいい、そうした職能をランドスケープ・アーキテクト (landscape architects) という。

概要

ランドスケープ都市設計や地域環境などを研究する際に学術観念として取り扱うが、多くの政治家学者建築家造園家がランドスケープを定義し、取り扱う分野などについて言及している。

丸田頼一編『環境都市計画事典』(朝倉書店、2005、ISBN:9784254180183 ISBN:4254180187)では、ランドスケープは、風景や景観のような感覚的・審美的な側面のみならず、水、土、大気、動物、植物など、土地や自然を基盤とする生態学的な性状や秩序を含めた概念として認識されること、その上で、都市整備の目標を安全性、健康性、利便性、快適性、経済性が備わったアメニティ豊かな環境創造に視点を置き、都市固有の自然的ポテンシャルをもとに、人間活動の歴史・文化的かかわり合いによって生じる環境条件の科学技術的判断、「美」に関する追求やレクリエーション空間の確保等に重点を置く分野である、としている。

しばしば風景景観、景域、造園、造景と訳されることが多いが、もとは風景「画」を意味していて、これは画家が風景や景観をつくるという意味ではなく、ある視点を選んで空間を解釈しているという意味であった。

ランドスケープは オランダ語の風景画を描かせる際に契約書の用語として使用された lantschappen という言葉が 英語で landscape、ドイツ語で Landscaft、等に派生していく。ただし、フランス語では農風景から派生した paysage という言葉が当てられることでわかるとおりそれぞれの国によって用いられ方等が少し異なり、その内容を異にしてはいる。英語、ドイツ語のLAND・・は、どちらも土地を形作るという意味のほか、共同体という言葉と同一語源である。生態学の専門家はランドスケープを科学的な問題と理解しようとしているが、ランドスケープという言葉は科学的な側面と審美的な面と両方を含んでいる。独語の原意は大地の眺めや大地にはえた植物類を意味している。

1899年にはアメリカ造園修景家協会(American Society of Landscape Architects, ASLA)が設立され、1929年にはイギリスランドスケープアーキテクト学会(British Institute of Landscape Architects)が創設される。さらに1948年にはイギリスのケンブリッジにおける国際会議にて、国際造園修景家協会IFLA(International Federation of Landscape Architects)が結成されるにいたる。

日本ではランドスケープは前述の庭園手法によって造園の、また都市設計手法からは政治建築の1分野とされてきた。景観造園の意味合いとして、ガーデニングなどの普及も後押しし、一般化してきた。ランドスケープという言葉が曲のタイトルに使用されたり(たとえば、ポルノグラフィティ『東京ランドスケープ』5thアルバム「THUMPx」収録)、写真の分野にも一般的に用いられるようになった。たとえばニューランドスケープとは現代写真用語であり、ニューランドスケープの代表的な作家としてジョエル・スタンフェルド、リチャード・ミズラックなどがいる。彼らのランドスケープはありふれた砂漠の風景のすぐそばに洪水で抉り取られた跡が映り込んだり、一見何気ない風景の中に環境破壊や人間の乱開発が美しい風景を危機に追い込んでいるさまを写し取る、あくまでもナイーブに告発調から離れた表現がなされる。日本の作家も大型カメラ(8×10)で山を切り出し高速道路を通して山肌をコンクリート固めした様子を発表し続けている柴田敏雄などがいる。またSAPの世界であれば、開発機で開発したプログラムを本番機に移送する、開発機と本番機の構成の事を、2ランドスケープ、開発機、検証機、本番機で3ランドスケープと呼ばれる。

なお、近代におけるランドスケープ・モデルは自然象徴だったが、脱工業化社会ポストモダンにおけるモデルは生体象徴だと位置づけられている。近代においては「建設」が風景の方法としてあったのであるが、今後は風景のモデルの存立基盤も多様化し、工業的なランドスケープ(テクノスケープ)はむしろノスタルジーの対象として十分に風景モデルとして機能することも指摘されている。

言語定義に関しては、様々な解釈、意見があるが、「明治期、建築や造園に関する英語を日本語に翻訳する際に、architectureを造家学、landscape architectureやlandscape gardeningを造園学とした。」というのが一般的である。しばし、「造園」から「ランドスケープ」に発展したという風な解釈をされることが多いが、実際には、「landscape architecture」という言葉を日本に導入する際「造園」を訳語として当てられ、この言葉が日本の文化的背景等により、本来のランドスケープという言語がもつ意味と相違がある為、本来の意味にて使用する際に「ランドスケープ」という外来語のまま使われるようになったという流れが正しい。相違については、西洋的な「ランドスケープ」とは公的な意味を持っているのであるが、これに対し日本の「造園」はあくまでも私的なものから派生していることがあげられる。また日本語の景観の訳語としての意味で用いられるが、この景観ということば辻村太郎によって風景の意味合いで定着させた経緯があり、日本語としての意味が変化してしまうとの指摘がある。ランドスケープという言葉に比べ「環境」は言葉としてはいくぶん抽象的であり、しばしば人間を含まない自然環境の意味で用いられるが、ランドスケープは自然なだけではなく、審美的な意味や政治的文化的な意味を内包した言葉である。

日本でも古くから認識され、黒谷了太郎は著書『山林都市』の中に「ランヅケープアーキテクトの手を借りてロマンティシズムに従って」と、自身の都市計画観を語り、名古屋の都市「八事」を生み出す。

造園界では古くからランドスケープの名称をことあるごとに用いているが、近年になると特に大学の建築・造園関係の学科やコース・専攻の名称等にも用いられている。日本造園学会では平成6年8月に、学会誌のタイトルを「ランドスケープ研究」と改めている。一般社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会は1999年に名称変更。ただし社団法人日本造園コンサルタンツ協会時代には英名を「Consultants of Landscape Architecture in Japan」その前の社団法人日本造園コンサルタント協会時代にも「Japan Landscape Consultants Association(略称:JLCA)」としていた。 なお日本語の緑化の英訳にランドスケーピングテンプレート:Enlinkが用いられる。

東京農業大学造園科学科編『造園用語辞典』でも、明治期建築や造園に関する英語を日本語に翻訳する際に、「architecture」を「造家学」、「landscape architecture」や「landscape gardening」を「造園学」とし、「architect」の語には、大いなる、主要な(arch)、たくみ、技術者(tact)の意味がこめられている、とし、学問としての造園学の発祥が近代以後で一般的にはイギリス風景式庭園の完成期以後もしくはアメリカにおけるセントラルパーク設計以後とされ、日本においても明治末期以後であるとし、そのために「landscape architecture」の意味に「近代造園学」の呼称をあてて区別する場合もある、としている。

さらに、ハーバード大学の学科landscape architectureを造園学科と訳し、その造園学科主任教授であったノーマン・ニュートン(N.T. Newton)の定義を翻訳し紹介している。1950年に「造園(landscape architecture)は、効果的(efficient)で、保健的(healthful)で、安全(safe)で、しかも快適な利用(pleasant human use)のために、空間(space)と目的物(objects)を伴いながら、土地を編成(arranging land)する技術・芸術(art)であり科学(science)である」と定義した、と著している。なおこの定義の英文は、高橋理喜男ら『造園学』朝倉書店に掲載している。

ランドスケープデザイン

ニューヨークセントラルパークを設計したフレデリック・ロー・オルムステッドが、初めて自らをランドスケープ・アーキテクトと称して以来、ランドスケープのデザインは、特にアメリカの都市計画、あるいは広く環境デザインの領域において、重要な役割を果たしてきた。 アメリカ合衆国の第三代大統領をつとめたトーマス・ジェファーソンがアメリカ中西部での開拓を進めようとして土地を新規開拓者に分け与える際に境界線を明確かつ容易に引くことが必要となり、そこでグリッドを採用し、四角形で分割し土地の調査を実施。彼は土地をまずグリッドで仕切り開拓地が拡大したときにはそのグリッドをさらに展開していけばよいと考えたのである。彼のアイデアは今なお,中西部の上空からはっきりと見て取ることができる。アメリカのランドスケープを実際に形作ったという意味では彼以上に実践した人物は他にいないとされるゆえんである。 ホーレス・クリーブランドは、「ランドスケープアーキテクチャ」を「文明進歩の各種の要求に対して、最も便利に、最も経済的に、そして最も優美にするように土地を編成する技術」とした。 1970年代には、産業の活性化と共に、公害などによる、環境の破壊が世界的に懸念され、自然と一体化したアートが生み出されるようになった。芸術品と土地を関連づけた、これらはランドアートアースワーク)と呼ばれている。

日本では古来からは日本庭園で距離を利用し、風景の変化を作り出す手法、近くから順にコケ、低木、高木を配し、塀で風景を切り取り、遠くの山、空を借景で演出するなど、また個々の造園計画により、都市全体に魅力を持たせる手法、都市内に作られる公園、川辺の親水空間、建築物周辺の植栽街路樹などの計画、構築する手法は一般的なことで、近年ではランドスケープの広告化、マンション広告の際にマンション敷地内の外部空間をランドスケープとして宣伝するまでになった。

ランドスケープは自然と人間界との事などが入り混じっている現実のさまを意味するが、ランドスケープデザインはこの景の中の人間と自然や環境との関係を読み取り、それを形として空間に表現する分野である。そして芸術と科学という性格の異なった二つの領域で構成されている分野であり、豊かな生活環境の理想を実現し結うような空間を具体的につくる手段でもある。それらは建築や土木構造物以外の外部空間を対象とし、今日では庭から街路、河川、都市公園や広場、都市や商業モール、住環境。学校キャンパスやスポーツグラウンド、そして自然公園へと広範囲にひろがっている。これらのオープンスペースはわずか1世紀前までは都市の余白としてしかとらえられなかったが、都市の高密度化が進行するにつれ、それが都市環境を人間のもとに取り戻す重要な役割をもっている空間であることが判ってきたのである。

公共空間を対象としている場合、つまり公共事業であるとユーザーは年齢、職業、性別ともに特定されなく、判断基準が不明確になるためしばしば審美性よりも明確な機能とか管理しやすさのみから判断される場合が多かったが、80年代からは都市における公共空聞への意識の高まりとともにランドスケープ・デザインという領域が認識されるようになり、主にアメリカで教育を受けた多くのランドスケープ・アーキテクトがさまざまな分野で活躍を始めるようになる。それまでとかく外構として、都市の残余、敷地の残余を埋める以上の役割を担っていなかった空地は、こうした状況下において、デザインの対象であることが認識されるに至る。建築家とランドスケープ・アーキテクトが協働をすることが当たり前になったのも、この時期以降である。この動きは、ともするとフォルマリスティックで表層的なデザインに陥る危険性をはらんでいたが、それまでの、単に喧騒をやわらげるための抽象的な緑でしかなかった植物を、生さ生きとした能動的な自然に引きあげたり、あるいは癒しの手段でしかなかった水やみどりを、より大きな生態系のなかでの自然現象を映し出す存在として位置付けたり、というように、都市と自然、人間の営為と自然との関係を再定義することに大きな役割を果たすことになった。

都市計画としてのランドスケープ

北欧などは敷地に建築を建てる際、インテリアとランドスケープ・アーキテクトになどの専門家が必要で、ランドスケープ・アーキテクトは建築の配置を担当する。この場合のランドスケープ・アーキテクトの資格は、大学の地理学科を卒業すると得ることができる。ランドスケープにおける考え方は、人や時代によって意味、解釈は変化してきたが、都市計画とランドスケープの繋がりは古くから存在し、ランドスケープ的手法は都市空間整備にはよく使用されている。古代より、東西を問わず、など、人々の周りの風景や、自然の創造物を元にした人の生活が行われることはしばしば見受けられた。また、高台に作られた神社、他の建築物よりも大きな、高いを持つ教会など、シンボルとなる、人工の構造物を街や都市の重要要素(ランドマーク)として位置づけ、これらを基盤とした都市の設計も行われている。日本では借景、点景を使った、また水面を大きく取る、石を組む、など造園手法が、ランドスケープとしてよく引用される。近代に入ると、都市が持つ要素をランドスケープ的な視点で科学的に分析し、各々の要素を分析、再構築することで、より良い都市を作り出すことができると考えられた。これらを学問として位置づけ、積極的に研究された。

人が集まる中心的な場所構築はよく用いられた設計手法のひとつで、日本の神社は仏教伝来以前は祭事を行う場所であるだけでなく、先祖の供養を行い、村の人間が議論する中心であり、古代ギリシアの中央広場、フォルムは神殿、体育場、公共施設に囲まれた空間で、市民の集まる都市の中心、帝政ローマフォロ・ロマーノは、広大な領土の中心として、政治、軍事、宗教の中心的な場所であるが、ランドマークという手法による、歴史的建築物、高層建築物、広場、公園演出など、その都市における象徴的存在そのものを指す手法、具体的には、東京タワー日本1958年昭和33年))、凱旋門パリ)、ホワイトハウスワシントン)、天安門広場北京)など、いずれもその都市の代名詞と成り得るシンボルであり、都市施設にそうしたランドスケープ的なシンボル性を与えることはわかりやすい手法のひとつである。

フランスは伝統的にランドスケープ要素を取り入れた都市構築を行う。シャンゼリゼからラ・デファンスにつながるパリ都市軸を形成し、グランプロジェの一つであるグランダルシュを貫かせる。近郊の新都市セルジーポントワーズの「大都市軸」と関係づけられるている。セルジーポントワーズは芸術家ダニーカラバンがランドスケープアーキテクト、フランスではペイサジスト、としてランドスケープ構築を行った。

登録ランドスケープアーキテクト(RLA)

一般社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会(CLA)が日本におけるランドスケープアーキテクトの育成と専門家としての職能確立と諸外国のランドスケープアーキテクトとの国際的連携をめざし、日本で初めてランドスケープアーキテクトの資格制度を発足させた。協会長が委嘱した「登録ランドスケープアーキテクト(RLA)資格制度総合管理委員会」によって毎年認定試験が行われる。

関連項目

外部リンク

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