ムスタファ2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムスタファ2世(Mustafa II, 1664年2月6日 - 1703年12月28日)はオスマン帝国の第22代皇帝(在位:1695年 - 1703年)。メフメト4世の息子でアフメト3世の兄。マフムト1世、オスマン3世の父。
1695年に死んだ叔父のアフメト2世の後を継いで即位した。大トルコ戦争でオスマン帝国へのオーストリアの進出を阻止しようとして1697年にハンガリーの再征服に乗り出した。しかし、プリンツ・オイゲンにゼンタの戦いで大敗北を喫し、和平の道へと進むことになった。1699年のカルロヴィッツ条約によりオーストリアにハンガリーとトランシルヴァニアを、ヴェネツィアにモレアを、ポーランドにポドリアを割譲した。また、1700年にロシアともコンスタンチノープル条約を締結、1696年にピョートル1世が奪った黒海沿岸のアゾフを譲っている。
1697年から大宰相に就任してカルロヴィッツ条約に調印したキョプリュリュ家出身のキョプリュリュ・ヒュセイン・パシャが戦後構造改革に乗り出したが、ムスタファ2世の側近でイスラム教長老のフェイズッラー・エフェンディとウラマーら保守派の反発に遭い1702年に辞任、1703年に首都イスタンブルからエディルネに移り住むとフェイズッラー中心の側近政治に反感を抱いたイェニチェリと商工業者らの反乱が起こり、フェイズッラーは殺害されムスタファ2世は退位、弟のアフメト3世に帝位を譲り幽閉され、間もなく死去。