博士研究員
テンプレート:出典の明記 博士研究員(はくしけんきゅういん、Research Scientist)とは、博士号(ドクター)取得後に任期制の職に就いている研究者や、そのポスト自体を指す語である。英語圏での略称であるpostdocに倣ってポスドクと称されたり[1] [2]博士後研究員とも呼ばれる。
目次
概要
欧米では博士号取得後の若手研究者にとって一般的なキャリアパスであり、1カ所あるいは2カ所の研究室でポスドクを経験し様々な技術を習得した後、自分で研究室を主宰して研究を継続する、あるいは企業に移って研究をしたりマネージメントの職種に就くことになる。しかし継続的に研究を続けることが出来る人は限られており、競争的研究費を獲得できないと離職せざるを得ない場合も生ずる。
一方、日本ではポスドク制度が本格的に運用されるようになってから日が浅く、キャリアパスが十分に整備されているとは云えない状態が続いている。「高齢ポスドク」問題等、深刻な混乱が生じているのが現状である。
日本の状況
もともと日本では、大学院を修了し博士ないし修士の学位を取得した後における大学での職は助手であった(明治時代には、学部卒業後すぐに講師、助教授、教授になった例もある[3])。これらは基本的に任期の限定がない職であり、定年までの身分が保証されている。最近は任期が3年から5年程度に限られた採用が増えつつあるが、それでも多くの大学では、これらの任期付き採用は「再選を妨げない」ものであるため、よほどの事情(社会人としてあるまじき行為をした場合など)が無い限りは定年まで身分が保障されるのである。
その一方で、大学院生と助手の間に位置づけられた任期付きのポジションが増えてきた。これらを一般にポスドクと呼び、日本学術振興会特別研究員(学振PD)や21世紀COE研究員などがポスドクの身分として有名である。
旧文部省の旗振りで1990年代から始まった大学院重点化計画によって大学院の定員が増え、その結果博士号取得者が増加した。増加した博士号取得者の職を補う形として、科学技術基本計画の一部であるポストドクター等一万人支援計画が実施されポスドクの人数は増加し、ポスドクの質の低下をまねいた。一方、ポスドクを経験した博士号取得者の行き先として考えられる大学・研究所の定員は増えていないうえ、企業等の博士号取得者採用数が極小化の一途をたどっていることから、将来の展望を確立できないまま年を重ねた博士号取得者が毎年大量に溢れることとなっている。同時に、日本国外の日本人ポスドクが日本で就職できる機会も限られてきており、結果として頭脳流出が起きている。
こうした状況に対応するため文部科学省では2006年(平成18年度)から「キャリアパス多様化事業」[4]を開始した。しかし、2008年8月4日・5日の両日、自民党「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」の主催で行われた「政策棚卸し」作業では、いわゆる自己責任論を標榜する立場から「無駄な事業」との厳しい否定的な意見が多数表明される結果となっている[1][2]。
「高齢ポスドク」問題
大学院修了後の職をとりあえずポスドクに求めた大量の博士号取得者の就職問題が深刻化している。2008年現在で国内のポスドクのうち最年長といえる者が40代半ばに達しようとしている。このままではそのような状況に置かれる者が年々増大していくと危惧されている。
高齢ポスドク(こうれいポスドク)は、広義には高齢のポスドクを意味するが、狭義においては35歳以上のポスドクを意味する。
経緯
2000年代前半にポスドク一万人計画によって大量にあふれたポスドクのうち、研究の世界で生き残れる条件として、教授たちの間にあった「35歳までに助手にならなくてはならない」という認識に由来する。実際に当時の助手の公募においても35歳以下という条件がつけられることが多かった。もともとこれは文部科学省からの通達にあった「大学院修了後は競争的環境にあることがのぞましく35歳までには常勤職に就くことが望ましい」という記述に由来する。2000年代後半には35歳を越えたポスドクが数多く増えるにつれ「35歳までに助手に」という発言自体があまりにも高齢ポスドクを刺激することから言われることはなくなった。現実には35歳を超えた者が助教(助手)に就任することもある。
問題点
高齢ポスドクの問題は、35歳を超えると助教を含めたアカデミックなポジションに就ける可能性が著しく減少するのみならず、それ以外の職への転出も極めて困難になる点にある。公務員試験も多くの場合は年齢制限が30歳以下に設定されている。民間でも高齢者を新規雇用するケースはあり、高齢者を対象にした公務員試験区分も存在してはいるが、これらはほとんど一定水準以上の実務経験を有することを必須条件としており、ポスドクでは対応が難しい。民間企業も35歳を超えた者の採用に消極的な姿勢をとることが多い。
アメリカでは年齢による雇用差別を行ってはいけないと法律で定められているが、最近まで日本におけるアカデミックポストの人事公募、特に助教(助手)では35歳以下などの年齢制限のあるものが多数を占めた。
動向
35歳を過ぎた高齢ポスドクは、アカデミアを去ることはなく、その職を日本国外に求め、アメリカやイギリスのみならず、最近はシンガポールや台湾や韓国などでもポスドクとして活躍する場合がある。
一方で、特任教員の採用が可能となり、特任助教として採用されるケースが増えてきており一時的な問題の緩和が起こっている。しかし特任教員は期限付きの職であり、一方で新たな余剰博士は従来のペースで生まれていることから、制度の構造的矛盾の解消の出口はいまだ見えていない。
ポスドクの高齢化は進行しており、約3人に1人が35歳を超えているという状況になっている[5]。
社会の反応
2004年(平成16年)に文部科学省から発表されたデータによると、博士課程修了者のうち「不詳、死亡」等の者の割合は11.45 %となっている[6]。このような現状を皮肉に表現した「博士(はくし)が100にんいるむら」という作者不明の創作童話[7]がインターネット上に公開され一部で話題になった。また、2007年には日本学術会議でポスドクの将来等に関する公開シンポジウムが開かれ、大学関係者の間でも一定の危機感が共有されている[8]。一方で、2008年6月5日に議員立法で成立した研究開発力強化法(研究開発システムの改革の推進等による研究開発能力の強化及び研究開発等の効率的推進等に関する法律[9])が2008年10月21日施行され、研究開発型独立行政法人におけるポスドクの雇用促進などが進められようとしている。
北米・欧州の状況
米国やカナダでは博士の学位取得後、半数が研究を継続するためポスドクにすすみ、そのうち大学の研究室主宰者になる人は3分の1と云われている[10]。所謂ポスドクの正式な職名としてはResearch Scientist,Researcherが使われ、時にはResearch Assistant Professorと呼ばれることもある。アメリカ国立衛生研究所から毎年ポスドクに対する標準給与が勧告されているが、半年から5年程度の経験年数でその給与は5万ドルから6万ドルとなっている[11]。なお、実際の給与は個々の契約によって大きく異なる。ポスドクの研究環境で特に際立っている点は100%の時間を研究にさける点で、研究室主宰者になると平均の研究時間は40%程度に減少し、それ以外は教育や雑用にさかれることになる。米国の場合ポスドクの研究分野は生命科学分野が半分以上で最大を占め、米国以外の出身国はロシアを含むヨーロッパ諸国、中国、インド、日本の順番となっている[10]。ポスドクのその後はおおよそ最長7年以内で研究室を主宰するPrincipal investigator (PI) になるのが最初の関門と云われている。しかしこれはまだTenure(終身雇用)ではなく所謂Tenure trackと呼ばれるポジションで、その後再審査を受けながらFull Professorを目指すことになる。大学でのポジションとして "Non-tenure-track" なProfessor、Adjunct Professor、Lecturer、Instructor、Visiting Professorと呼ばれる職に就く場合もある[12]。なお、米国にはポスドクの協会がありポスドク同士の情報交換などで成果を上げている。
英国などについては、欧州での研究経験のある著者がヨーロッパでのポスドクの状況を述べている記述がある[13]。