開かずの踏切

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ボトルネック踏切から転送)
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ファイル:Meitetsu Jingu Mae Station 04.JPG
JR・名鉄の計8線を跨ぐため開かずの踏切となっていた神宮前駅北の手動踏切(名鉄神宮前1号踏切とJR東海御田踏切) ※2012年6月30日廃止
ファイル:Totsuka level crossing 01.jpg
列車が多くて踏切が開かない時間帯に通行止めとしている、戸塚駅近くの踏切(JR東日本 東海道踏切)

開かずの踏切(あかずのふみきり)は、遮断機が降りた状態が長時間続き通行が困難な踏切の通称。線路が多く交通量が多い踏切やに近い場合に開かずの踏切となりやすい。

概要

国土交通省(旧・運輸省)では、「緊急に対策の検討が必要な踏切」として、「ピーク時の遮断時間が1時間あたり40分以上となる踏切」[1]と定義される「開かずの踏切」と、「1日あたりの踏切自動車交通遮断量が5万台時以上となる踏切」または「1日あたりの踏切自動車交通遮断量と踏切歩行者等交通遮断量の和が5万台時以上かつ1日あたりの踏切歩行者等交通遮断量が2万台人時以上になる踏切」と定義される「ボトルネック踏切」と、「歩道が狭隘な踏切」を挙げている[2]

このうち開かずの踏切は、1999年平成11年)度に日本全国に約1,000箇所、2007年(平成19年)度に約600箇所あり、その半数にあたる約300箇所は東京都内にあった[3]。近年は連続立体交差事業等で開かずの踏切の除却が積極的に進められており、東京都内においては2007年度から2012年(平成24年)10月までに80箇所が除却され、以後も70箇所以上を除却する計画がある[4]

大都市圏を走る鉄道路線の朝夕の通勤ラッシュ時には、列車の運行数がきわめて多いため、踏切の遮断時間が長く、特に通過路線が多い踏切では列車の踏切通過が重なり開かずの踏切になりやすい。さらに駅至近の踏切では、停車列車の過走防護のため電車が踏切を通過するかなり前のホーム入線時から遮断機が下りていることが多く、遮断時間がより長くなる。

開かずの踏切では、長い踏切待ち時間が自動車などの渋滞を発生させ通行者のストレスを高める。通行者が僅かな開いている時間で急いで通行するため転倒事故などを誘発するほか、高齢の歩行者や幼児連れの親子などが踏切が開いている間に渡りきれない事態が発生したり、歩行者・自動車が待ち時間を嫌って遮断機が下りているにも関わらず通行を強行して、人身事故・物損事故の要因となっている。踏切待ちによる時間損失を貨幣価値に換算すると年間約1兆5,000億円にも上ると試算されている。

開かずの踏切の抜本的な対策は、線路や道路の立体交差化(高架化・地下化)による踏切の除却であり、線路の連続立体交差化事業は国からの補助のもと自治体の負担によって行われる。近年では開かずの踏切の解消が積極的に進められているが、立ち退きや工事騒音や日照権問題などによる住民の反対、財政状況の悪化、地価や資材価格の値上り、既設路線を運行しながらの工事により、事業に莫大なコストと時間がかかる実態は依然として解消されていない。

対策例

線路を高架化・地下化した例

道路交通が多く、鉄道路線が少ない場合に、この方法が取られることが多い。連続立体交差を参照。

道路を高架化・地下化した例

鉄道路線が多くて連続立体交差化が難しく、道路交通も多い場合、道路側が高架化・地下化される。

東海道本線 東海道踏切(戸塚大踏切) (予定)
戸塚駅北側の国道1号(旧道)の踏切。通過する旅客列車・貨物列車双方の本数の多さが要因となっている。遮断時間は1時間あたり最大56分、1日あたり14時間に上る。現在朝夕ラッシュ時の一部時間帯で車両通行止めの措置が執られている。
2014年現在、地下車道化の工事が行われている。歩道は設置されないが、現在の踏切の位置に人道橋「戸塚大踏切デッキ」が設置され2014年1月に完成した。

跨線橋・地下道を設けた例

歩行者が多い場合は、跨線橋や地下道を設置するだけでも意味がある。

阪和線 杉本町駅
開かずの踏切問題・東口設置計画を参照。

廃止した例

東海道本線 総持寺踏切
計11本の線路を跨ぐ長大踏切。旅客列車の本数の多さに加えて、鶴見駅で合分流する東京貨物ターミナル武蔵野線両方面の貨物列車も要因となっていた。遮断時間は1時間あたり最大58分、1日あたり15時間に及んでおり、監視員が常駐していた。北側に隣接してエレベーター・自転車用スロープ併設の歩行者用跨線橋が設置されており、歩行者は跨線橋を利用するよう看板が設置されていた。
カーブ上にあり、カントに因る路面凹凸で通行車両がバウンドすることでも有名。西側を鶴見線が、東側を京急本線が共に高架で通過しているが、1978年昭和53年)の高架化までは京急本線にも踏切が設置されていた。
2012年4月1日にこの踏切は廃止された。

関連する事件・事故

  • 2003年(平成15年)、JR中央線高架化工事に際し、三鷹 - 国分寺間で踏切の横断距離が延び、また遮断時間が工事前よりも増える箇所が出るなどしたため、一時期社会問題となった。その後、切替工事が進んだため横断距離は多くの箇所で以前と同程度に戻り、2009年(平成21年)12月の線路切替工事ですべて高架となり同区間内の踏切は全廃となった。
  • 2005年(平成17年)3月、東武伊勢崎線の竹ノ塚駅近くの踏切において踏切保安係の誤操作が原因で人身事故が発生。通行者の苦情を避けるため保安係が規則を無視して自分の判断で遮断棒を上げ下げする行為が日常的に行われていたことがこの事故の後に発覚し、問題となった。その後人身事故の原因となった踏切保安係は業務上過失致死傷罪逮捕起訴され、禁錮1年6か月の実刑判決を受けた(竹ノ塚駅#踏切東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故も参照)。
ファイル:踏切故障01.JPG
故障灯が付いた踏切
広島市 中山踏切
  • 2005年(平成17年)10月、京浜東北線東海道本線大森駅 - 蒲田駅間の開かずの踏切で発生した死傷事故では、列車ダイヤの乱れが原因で30分以上遮断機が下り続け、踏切に「こしょう」(故障)との表示が出ていた。これは踏切の故障でなくとも遮断機が30分以上下りていた場合は自動的に表示されるが、この表示が原因で「踏切の故障で遮断機が下り続けている」と通行者の誤解を受けたのではないかとの指摘がなされ、JR東日本では踏切の故障表示について見直しをするとの発表を行った。なお、これと同類の事故が2006年(平成18年)3月に東海道本線三河大塚駅 - 三河三谷駅間の踏切でも発生した。これらの事故を受け、国土交通省は「こしょう」の表示を廃止するよう全国の鉄道事業者に指示した。
  • 2006年(平成18年)7月、東武東上線池袋駅 - 北池袋駅間および埼京線の池袋駅 - 板橋駅間の開かずの踏切で東上線の池袋発志木行き下り普通列車に親子がはねられる事故が発生、母親は死亡し子供は重傷を負った。この親子は遮断機が下りていた踏切をくぐった男性に続いて踏切内に進入した模様。この踏切は以前から遮断機が下りている状態での歩行者の横断が目立っていて、2001年(平成13年)にも男性が埼京線の列車にはねられる死亡事故が起きていることも明らかになっている。また、事故当日は併走する埼京線のダイヤが乱れ、70~80分間も踏切が開かない時間があった。
  • 2008年(平成20年)8月、JR京都線摂津富田 - 茨木間にある『富田村踏切』で、踏切内に入っていた男性が高槻新三田行き下り普通電車にはねられ死亡した。この踏切は、2007年(平成19年)9月に、電動車椅子の男性がはねられて死亡するなど、事故による死者が2005年以降だけで5人に上っていたため国土交通省では抜本的な対策を講じるようにJR西日本に要求してきており、 これを受けて同社は、「開かずの踏切」の状態を緩和するため、列車種別に応じて遮断時間を変え閉塞時間を最小限に抑える新システムを2008年(平成20年)秋に導入することを発表した矢先の事故であった。
  • 2009年(平成21年)1月、阪急京都線南方駅の隣に位置する『御堂筋東踏切』で、高校1年生の女子生徒が正雀梅田行き下り回送電車にはねられ死亡した。この女子高校生は上りの梅田発北千里行きの普通電車が通り過ぎた後に遮断機を潜り踏切内に入り込んだ模様。この踏切は地元では開かずの踏切として知られていた。事故に遭った女子高校生は、実用英語技能検定試験を受験後待ち合わせ場所へ向かうため急いでいた模様である。
  • 2011年(平成23年)3月、東日本大震災では停電後の踏切が常時遮断され続ける仕様のために多くの自動車車両が踏切を横断できず立ち往生、避難できなかった自動車車両の多くが津波に巻き込まれる事態が発生した。

出典

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関連項目

外部リンク

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  • 国土交通省 道路局
  • 国土交通省 道路局
  • 高架化で急速に消える踏切、NHK ONLINE@首都圏