パチスロ

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パチスロとは、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」によって規制を受ける第7号営業店=パチンコ店等に設置されるスロットマシンのことである。正式名称は「回胴式遊技機」。保安通信協会(保通協)によって行われる型式試験に合格しなければ設置できない。登場当初はオリンピア物産(現在のオリンピアとは別の会社)製の機械がメインだった為、「オリンピアマシン」とも言われた。

スロットマシンがリールの自動停止を待つのに対し、パチスロではステッピングモーターの制御により遊技者がストップボタンでリールを停止できる。これはパチンコとともに法的に遊技者が最低限の技術介入を求められているためである。

パチスロ登場以前は、ラスベガスなどでお馴染みのいわゆる「アップライト型」が主流であったが、大型のスロットマシンは店舗への導入が困難である事から、パチンコの枠にそのまま設置できるスロットマシンが開発された。

概要

パチスロはスロットマシンをパチンコ台の空間に入るよう製造されたもの(ただし0号機の時代はその限りではなく、筐体はそのまま外国のスロットマシンと同じものだった)。そのため当初からパチンコを設置している店の一角にパチスロのコーナーが設けられていて、換金方法もパチンコの方式をそのまま流用しているところがほとんどである。

遊技に使用するメダルの借り賃は1枚20円以下(消費税分は除く)と定められている[1]。以前は1000円でメダル50枚を単位として貸出を行う店が多かったが、消費税率の上昇に伴いメダル代への消費税転嫁が問題となったため、2014年4月に「貸玉料金に消費税相当分の上乗せを認める」旨の改正が行われており、以後は1000円でメダル47枚(21.27円/枚)の貸出とする店が増えている。またパチンコ同様に、2000年代以降貸メダル料金を低く抑えるサービスが広まっており、低いところになると1〜2円/枚での貸出を行っている例もある。

パチンコとの遊技性の違いは、「ある程度の技術介入」要素が明確であり、出玉を左右しやすい点にある。つまり打ち手のレベルやテクニックによって目に見えて差が開きやすい。しかしながらシステムや遊技方法にある程度の理解が無いと遊技する上での楽しみや興奮が少なく、始めるにあたりハードルが高い、と思う者も多い。特にパチンコとの顕著な違いは「あらゆる役が当選しても、遊技者がその絵柄を決められた位置に止めないと払い出しを受けられない」という部分である(ただし本来は、パチンコでも、役が当選しても、開放した入賞口に玉を入れられなければ払い出しを受けられない部分は同じである)。そのため、ボーナスや小役は基本的に遊技者が止める必要がある。

4号機が発売されていた時期はパチンコのホールをパチスロ専用のホールとして改装する店が多くあった。これはパチスロの演出の変化により店内のBGMや放送及び照明がパチンコのものと両立しなくなってきたためである。もちろん当時のパチスロ人気の高騰も原因の一つだった。これはパチンコの出玉に関する規制が一時厳しくなったために、より爆発力の大きいパチスロに客が流れたことに原因があった。しかし5号機の時代に入りパチスロの出玉規制が強化されたため、一旦はパチスロブームが下火になったが、2010年頃からART機種の台頭により再度人気が盛り返しつつある。

このことからもわかるように、遊技者は大量のコインを短時間で獲得できるような仕様のパチスロ機を求め、設置するホールも客の求める機種を多く設置するため、メーカーもそのような機種を発売する。そのために常にギャンブル性(射幸性)の高さが問題となり、そのたびに当局より規制を受けることになる(後述参照)。

三重県では全国的にパチスロが普及した後も、公安委員会がパチスロの導入を認めないという理由でパチスロ台が1台も稼動していない状況が続いていたが、2000年にはパチスロの導入を認める方針に転換し、同年7月より三重県内でもパチスロが一斉に導入された。

2005年、これまでのメダルではなく、パチンコ玉にて遊技するパチスロ機(通称「パロット」)がSANKYOから登場。メダル3枚に相当するパチンコ玉15発が一回の遊技代となる。しかし、設置台数はほとんど増えず、パロットはほとんど見ることがなくなった。また、筐体の変化も様々で、床置きタイプの筐体なども少ないながら存在した(箱型以外のパチスロ機はホールには現存しない)。

進化と変遷

前史

戦後、アメリカ統治下の沖縄にスロットマシンが輸入された。輸入業者の一つであったサービスゲームスジャパン社(Service Games Japan、SEGA)は1950年代中ごろにスロットマシン大手のミルズ社と提携して国内でライセンス生産を行い、後にオリジナルの生産も行った。このころにセガが製造したものが日本初の国産スロットマシンにあたるが、本土では賭博機に当たるとされ7号営業の認可が出ず、沖縄にのみ設置された。

1964年[2]、アメリカ統治下の沖縄にて、セガが「オリンピア・スター」を発売。本土でも7号営業の認可を受け、ホールに設置された日本初のスロットマシンとなり、現代のパチスロの嚆矢となった。スロットマシン型のこの遊技機は、日本で同年に開催された東京オリンピックに因んで「オリンピアマシン」と名づけられた。セガは同業の太東貿易(タイトー)と共同会社であるオリンピアを設立、セガがかねてより製造していたスロットマシンを応用した製品の製造を担当し、販売営業を分け合った。

この頃の「オリンピアマシン」はほとんど沖縄にしか設置されていなかった。後の沖スロの源流に当たる。本土では在日米軍基地にも設置されたほか、主に欧州市場向けに海外輸出もされており、日本よりも海外に現存数が多い。しかしスロットマシンにおいてバリー社風のデザインが主流になると、ミルズ社風のデザインのオリンピアマシンは時代遅れになり、セガも1970年代後半にはオリンピアマシンの製造をやめている。

1ゲームに投入できるメダルは1枚、絵柄の組み合わせの有効ラインは1つで、ボーナスゲームはなかった。

以下、代表機種については検定審査通過順に記載する

0号機

1977年、マックス商事が「ジェミニ」を発売。セガを海外資本と考えると、これが日本初のパチスロである。外観もミルズ社のスロットマシンそのままの外観だったオリンピアマシンから、アップライトと呼ばれる外観に変化しているが、実際はバリー社のスロットマシンとほとんど同じデザインであった。この頃よりオリンピアマシンではなくアメリカンパチンコ(アメパチ)と言う呼び名で、本土でもパチスロが定着し始める。

当初はアメパチの名の通り、メダルマシンとして日本のゲームセンターで大量に稼働していた、バリー社のスロットマシンと似たデザインのものが多かったが、1980年のパチスロパルサー尚球社)あたりから現在のパチスロのデザインが確立し始める。この頃のパチスロ機は後に0号機(1985年に施行された風営法以前に作られた機種の総称)と呼ばれるようになる。

基準など無かった時代なので、極端にスベリの有るものや、反対にスベリの少ないものがあり、目押しの出来るプレイヤーにとっては攻略の対象になった。リールもギアで動くものだった機種では、窓を押さえることでリールを止めることができたものもあった。

役は、ボーナスゲームと小役ゲームのみで構成され、一度ボーナスゲームが当たると次回のボーナスゲームが高率で当たり、店が設定した打ち止めまで続くようになっていた(但し、機種や絵柄によっては、単発で終わるボーナスゲームが存在したり、抽選などの要因により打ち止めに達する前に通常状態に戻る(パンク)場合もあった)。また、連チャンの規制も無かったので激荒の波を持った機種もあった。尚『パチスロパルサー』には山佐パターンと呼ばれる独特のリーチ目があって、リーチ目表(大量リーチ目タイプなので代表的なパターンのみ)がホールに張り出されていた。このパターンは現在まで続いていて、パルサーシリーズのウリになっている。

当時の営業方法は、今のように無制限で交換率が5~7枚交換というものではなく、ボーナス1回ごとに交換し(そもそも、パチンコでも「定量で打ち止め」が当たり前の時代である)、交換率も10枚交換などというホールがざらにあった。またリプレイもなかった。コインサンドもまだなく、通貨を50枚単位で包んであるのと同じものをカウンターで1000円で交換していた。今でも高年齢の人が1000円を1本と呼ぶことがあるのはこのときの名残である。また、メダル貸し出し単価や機械仕様が統一されておらず、都道府県ごとに異なるレートが適用されていたり、それに合わせて打ち止め枚数などの仕様が異なっていたりした。都道府県ごとに規制が異なったため、0号機では、同一機種でも隣の県では異なるゲーム内容となっていた。

1号機

1985年、パチスロに新風営法に基づいた全国統一認定基準が定められ、1号機が登場。現在のボーナスシステムと同等のゲーム性を搭載した。

1.5号機

不正改造対策により登場。Aタイプのみ存在。純増方式のみで、約360枚で打ち止めとなる。ボーナス終了時に打ち止めとなるのは0号機時代の名残である。

2号機

1988年に2号機が登場。ボーナスの抽選方法が完全確率方式に統一され、吸い込み方式などは全廃された。コインを50枚まで貯留できるクレジット機能が採用されて操作性が向上したうえに、シングルボーナスや集中役など新しい遊技機能が許可されたことにより、ゲーム性が従来と比較して格段に向上した。その一方で、1ゲーム4秒(3号機以降は4.1秒)の規制が加わり、スピーディなプレイが難しくなった。

3号機

1990年に3号機が登場。2号機のギャンブル性を抑えた仕様であり、人気のあった集中役に対する規制が強化された。しかしゲーム性が画一化されたことにより、結果的に基盤の交換やRAMの書き換え(いわゆる「注射」)などによる違法な状態(裏モノ)での営業が蔓延し、一部の機種を除いてほとんどが裏モノ化される地域もあった。それへの対処として大規模な基板改修や再封印が行われた結果、パチスロ人気は急落した。また検定取り消しになった機種もあったが法的な拘束はなく、4号機から5号機への移行のように即時に撤去されることはなかった。末期にはCR機の試作機も作られたが、さまざまな障壁により、製品化は2006年に発売された『CSスロ原人』(アビリット)まで待つことになる。

  • 検定取り消し機種:コンチネンタル、ワイルドキャッツ、セブンボンバー(バルテック)

4号機

1992年に4号機が登場。3号機よりもコイン持ちをよくするために、再遊技(リプレイ)が新たに搭載されるようになった。フラグ告知機能も許可されたが、当初はあまり活用されなかった。他にも、オートリセット機能(3号機まではビッグボーナス終了のたびに店員を呼んでリセットをしてもらう必要があった)の搭載、払い出しに関係のない絵柄(多くの機種における中・右リールのチェリーなど)も4号機から認められている。さらに、ビッグボーナスに「期待値方式」を採用し、獲得枚数が毎回変化するようになったことも特筆される。また、3号機までは1メーカーにつき2機種までしか販売が許可されなかったが、4号機からは何機種でも販売できるようになっている。ビッグボーナス中に3回のJACゲームが入賞可能なAタイプ、同じくJACゲームが2回ないし1回まで入賞可能なBタイプ、ビッグボーナスを搭載しない(レギュラーボーナスもしくは、後に登場するCTやATによって出玉を獲得する)Cタイプの区分が生まれた。

4.0号機

4号機の規定の盲点をついた「小役回収打法パチスロ情報誌の命名により、一般にDDT打法やKKK打法と呼ばれる)」「リプレイはずし」など、打ち手の技術介入度が高い機種が続々登場。「目押し全盛時代」と言われる。一方で、3号機の終焉と共に消滅したと思われた裏モノは、ギャンブル性を求めた客側と利益を上げたい店側の利益が合致し、『キングガルフ』『ビガー』『エイトマン』などが裏モノ化され、長期に渡って鉄火場を演出した。

1998年にチャレンジタイム(CT)が許可され、『ウルトラマン倶楽部3』(サミー)をはじめとしたCT機が流行。その一方で、『ジャグラー』(北電子)に代表される、リーチ目がわからなくても特定のランプが点灯すればボーナスが確定する完全告知マシンが高齢者や初心者を中心に人気を集める。

沖縄では沖スロと呼ばれる独自の機種が人気を集め、『トリプルクラウン』『シオサイ』『ハナハナ』などは、後期まで根強い人気を誇った。なお、沖スロは日本本土にも設置されたが、それらは裏モノに基盤が交換されるものが多く、沖スロが完全告知であることでさらに興奮を煽っていた。

4.1号機

完全確率をベースとした規制を受け登場した4.0号機であったが、拡大解釈により大幅な変貌を遂げることになった。2001年に初のストック機ブラックジャック777』が登場。また、リール以外の手段を用いて演出を表示できる筐体が登場する。当初は簡易なドット絵やフラッシュが主流であったが、その後4thリールや液晶搭載機(『ゲゲゲの鬼太郎』で初搭載)の登場などで筐体そのものも大きな進化を遂げた。

その中で最大711枚の出玉が獲得できる大量獲得機の登場やアシストタイム(AT)がブームになり、1日で数万枚(等価交換なら1万枚=20万円)以上という、異常なまでの出玉性能を持つ機種が登場するなど、射幸心を煽る流れは加速していった。過激化する一方の出玉性能が世間で問題視され始め、『灼熱牙王』(ロデオ)が発売中止になるなど公安委員会も動きを見せる中、2002年7月に日電協は規制を自主的に改定し、「適度な射幸性を超えるおそれがあると認められる遊技機」と判定した4.0号機の一部機種を4.1号機と呼称することとした。さらに2003年には同じく改定前の「著しく射幸性が高いと認められる遊技機」と判断された機種は検定を取り消され、撤去された。

4.5号機

前述の通り射幸心を抑えるために日電協は2002年7月自主規制を改定、これ以降に審査を通過した機種を4.5号機と呼称することとした。

それまで人気を博していたAT機は事実上、審査がほぼ通らなくなり、『スーパーリノ』で初搭載されたサイレントストック型のストック機がメインとなった。4号機におけるビッグボーナスの最大獲得枚数である711枚のビッグボーナスがストック機能によって連チャンする吉宗の登場以降、同様の大量獲得&連チャン機種が多数発売されるなど、長時間では及ばないものの短時間での出玉性能は4.1号機に負けない機種も多かった。

4.7号機

射幸心を抑えるために導入された4.5号機であったが、それでも十分ではないと判断され、2004年1月に規制を強化し、以降に審査を通過した機種を4.7号機と呼称することとした。

総じて4.5号機より出玉性能が抑えられているが、短期的な爆発力は登場当初の5号機と比べれば依然勝っていたため客のニーズは高く、多くの機種が検定機関満了まで設置された。(全ての4号機が撤去されたのは2007年9月30日である) また、パチンコ店からは撤去されたものの、人気の高かった4号機の多くは若干の改造を加えられるなどしててゲームセンターなどで新たにメダルゲーム機として転用された(いわゆる七号転用機)。

5号機

テンプレート:Main 2005年登場。事実上、射幸性が高くなりすぎた4号機への規制を意図した要件改定のため、検定基準も厳しくなり出玉性能が大幅に制限された。

短時間での出玉制限やボーナスのストック機能が禁止されるなど出玉の波が穏やかになり、4号機時代のような大量獲得も不可能になったように思えたが、2006年5月発売のボンバーマンビクトリーに初めて搭載され、その後流行したリプパンはずしや、2013年現在ホールに多数設置されているART機種、AT機種など波の荒い機種が次々と開発され、4号機より獲得に時間はかかるものの、万枚、果ては2万枚クラスも獲得可能な機種が多く登場している。

2013年現在、5号機はおおまかに分けて、

  • ボーナスのみでコインを増やしていく「ノーマル機」(天井やRT機能が搭載された機種もある)
  • ボーナスとART、またはARTのみでコインを増やす「ART機
  • 通常時はほぼリプレイのみが高確率で揃い、AT当選時のみ小役を取得できる「AT機

の3種類に分けられている。なお、AT機は便宜上ART機に含まれる場合もある。

様々な規制の余波

2002年以降、出玉上の規制が行われ、スペックの変化は様々であるが、出玉設計以外の分野においても規制の余波が届いている。

ホール営業

原則的に「来店客に対し、射幸心を煽る店内行為」が自粛されている。

過剰なアナウンスの自粛
プレイヤーの射幸心・期待度を煽るアナウンスが自粛された。空き台の案内や風営法による規制案内が主流となっている。
出玉公開・写真の廃止
かつては大量獲得者は写真と共に店内に掲示されたりしたが、獲得者が強盗犯罪等に巻き込まれる可能性から、最近ではほぼ見られない。
イベントの抑制、禁止
かつては営業時間中であっても設定変更を実施したり、閉店前に設定キーを挿して客に設定を見せるサービスがあったが、その後設定を断言するなどの行為が自粛される。その代わりに「(設定を)上げ・キープ」、「爆裂札」、「ゴロゴロ(5656)祭」、「エビアン(海物語シリーズの5・6絵柄であるエビとアンコウ)祭」、「ドラゴンボールの星の数で告知」などの手法をとり、建前上は告知を行っていないという姿勢をとる店が多かった。また、これを逆手に取り嘘の設定を告知するホールもあった。
さらに、2011年8月1日より風営法が厳格運用され、上記のような告知方法はもとより、特定機種を推奨するイベント(○○の日といったもの)や、設定を示唆する告知(ゴールド、MAXといったもの)に関しても全国的に禁止されるようになった。その後ホームページ電子メールブログなどを使って暗に告知する店も見られたが、2012年夏頃、当局からの指導により改めて徹底された。
店員による目押しサービスの禁止
目押しをすることが出来ない客のために、ボーナス図柄を揃える場合に限り店員が目押しして図柄を揃えることが一般的に行われていたが、2011年8月からの風営法厳格運用により同行為が全国的に禁止された。なお、直接停止ボタンを押さずに、筐体を手で叩くなどしてボタンを押すタイミングを教える店は存在する。
等価交換の禁止
2011年10月1日より、大阪府内のパチンコ店組合の申し合わせにより、射幸心を著しく煽るとし、等価交換が全面禁止となった。スロットにおいては、最高換金率は5.6枚あたり100円(1枚≒17.86円)と定められている。現在のところ、大阪府以外の都道府県では適用されていない。
営業時間の厳守
開店・閉店時間が厳格に守られるようになった。閉店時間に客が完全に退店していなければならなくなり、その結果、遊技を終了する時間が閉店時よりも早まっている(10~15分前)ので、その時間を計算して遊技を終了しないと、ボーナスやARTを取りきれずに終わらなければならないこともあるので注意が必要である。実際閉店の10~15分前に店員の手によって強制的にプレイ終了となるケースがほとんどである。また、混雑緩和のために開店時間前に客を入場させ、開店時間より遊戯開始とする店も存在したが、客の入店も開店時間からしか認められなくなった。

5号機移行後における業界の動向

2007年10月から、すべての遊技場(パチンコ店やパチスロ専門店)に設置できる機種は5号機のみとなり、4号機は設置できなくなった。しかしながら、4号機での『北斗の拳』→『北斗の拳SE』、『吉宗』→『押忍!番長』『秘宝伝』への入れ替えのように、一気に十台単位で入れ替えるという傾向は見られず(4号機ジャグラーシリーズから『アイムジャグラーEX』への入れ替えは除く)、メーカーによっては4号機の下取り、新たなリースプランの導入などで入れ替えの経費を押さえ、促進しているにもかかわらず、数台ずつ導入していく店がほとんどであった。なかには、シマを改造してパチンコ台に入れ替えたり、ベニヤ板で台の入っていた場所をふさいで総台数を減らしたりするところもあった。

4号機人気によってパチスロ専門店として改装・開店した店が、再びパチンコとの併設店(甚だしい場合はパチンコ専門店)に戻ったり、パチスロ専門のゲームセンターへの移行や店自体を廃業したりする例も見られた。2号機以前から営業していたような老舗の閉店も相次ぎ、一時は深刻な事態となった。2007年4月27日に業界第6位のダイエー(本社・会津若松市)が東京地裁に民事再生法の適用を申請したことをはじめ、2007年度のパチンコ店倒産件数は前年比37.1%増の大幅増加となり[3]、同年度パチスロ機市場規模(メーカー売上高ベース)が2007年度(5009億円)比51.6%減の2423億円に落ち込むなど[4]、パチスロを取り巻く環境は一気に厳しくなった。パチスロ専門店の店舗数も2006年の2,086店をピークに減少傾向が続き、2010年には903店とピーク時の半分以下に落ち込んでいる(パチンコ店#店舗数も参照)。

また2007年秋以降、一部のパチスロ店で4号機以前のパチスロ機を意図的に撤去せずに設置し続ける例[5]や、4号機以前の台を並べた無許可営業店(俗に「闇スロ」、「地下スロ」などと呼ばれる)が現れており(このような店では、貸メダル1枚の単価が100円を超えるような高レート営業が行われることもある)、これについての摘発事例も報道されている[6]。地下スロについては暴力団が関与している疑いも浮上している[7]。また、2010年頃に「金スロ」と称した金箔カードの自動販売機なるものが登場。これには4号機のパチスロ台が接続されており、金箔カードを購入するおまけとしてパチスロを遊技することができ、ボーナスを当選すると金箔カードが更に貰え、金箔カードは併設の古物店で現金で買取ってもらえるいう物である。発案者はあくまで自動販売機であり合法であるとしているが、2013年に風営法違反で摘発されている。詳しくは当該項目を参照されたい。

一方、5号機も2008年に行われた規制緩和と、それによってART機を中心に多様な機種が投入されたこともあり、2010年5月にはパチスロ設置台数が久々に前月比で増加に転じ[8]、警察庁調べによるパチスロの設置台数も2010年には久々に対前年比でプラスとなるなどパチスロ市場が底入れし、その後のART機の隆盛を背景にパチスロ機の増台が続き[9]、パチンコ機のシマをパチスロに転換するという逆転現象が起こるようになるなど、一転してパチスロ市場は活況を呈した(パチンコ店#設置台数も参照)。

営業方法

1号機~2号機時代

このころは1回交換定量制の営業が多く(無制限営業もあったが現在よりも割合は低い)、交換率も等価交換~8枚交換まで様々なバリエーションがあった。このころはパチスロだけではなくパチンコでも1回交換やラッキーナンバー営業、定量制の営業が多かった。

当時は等価~6枚交換は無制限営業、7枚交換以下は1回交換が多い。

3号機~4号機時代

このころになると店側のモーニングサービスやスペック上の問題等[10]から営業形態は1回交換や定量制から無制限へ移行。店側のモーニングサービスがイエローキャンペーンで事実上廃止された後も店側は1回交換へ戻ることはなく無制限営業が事実上定着した。以後5号機時代へ突入した現在も無制限営業が主流である。交換率も同様にそれまで6枚交換や7枚交換等で営業していたホールが等価交換等へ移行する現象が見られた。しかし高設定イベント等では1回交換を行う店もあった。

5号機時代

5号機時代になって、従来のメダル1枚20円から5円ないし10円に単価を下げた営業もみられるようになった(通称5スロや10スロと呼ばれている)。最近はさらに単価を下げた2円単価(2スロ)、更には1円単価(1スロ)も存在する。

5号機は機種ごとにボーナスでの獲得枚数に違いが出るバリエーションの豊富な機種が生まれた(0枚[11]~448枚)またRT(リプレイタイム)やART(アシストリプレイタイム)の登場もあり、イベント以外で1回交換という営業は見られなくなった。4号機の時代に比べて、射幸心を煽るような営業方法は自粛されるようになってきている。

日本国外におけるパチスロ

パチスロは日本国内だけではなく国外にも存在する。これらは基本的に日本で開発された台を利用したものである。

韓国では、ソウル市内を中心に多数の店舗が存在していた(2006年2月末時点)。説明書きなどはハングルに直されている場合もある。機種は古いものでは『大花火』、新しいものでは『ヒデキに夢中!!』まで確認されている。店の規模は40-50台程度のところが多く、ほとんどの店は韓国の法律に照らすと不法営業である。貸しコインは1万ウォン(約750円)で90枚貸してくれ、交換するときは100枚で1万ウォン分の商品券をくれる。そのまま使えば1万ウォンは1万ウォンだが、現金に(それなりに堂々と)変えてくれるお兄さんを通すとそこから更に10%引かれるので、交換率で言うと6.3枚交換程度になる。ただし2006年末に「韓国版パチンコ機」ともいえるメダルチギが非合法化されているため、現在もこれらの店が営業しているかどうかは不明。

北朝鮮では、平壌市にあるボウリング場「平壌ゴールドレーン」の中にもあり、日本と同様景品と交換できる。モンゴルでは、ウランバートル市内で数店舗が営業を行っている。台湾では、本来パチンコ・パチスロ店の営業は法律で禁止されているが、実際には相当数の非合法店が営業しており、台中市などにパチスロ店が存在する。

日本国内のパチスロは5号機に移行したため、4号機以前のパチスロ台は2007年秋までに撤去されたことにより、一部業界関係者は「海外のカジノ等で、日本人客を対象に旧式のパチスロ機による営業を行うところが増えるのではないか」との声もある。但し、同一のゲーム性のままでカジノに設置することが不可能な国や地域も多い。例えば、ラスベガスなどではスロットマシンにストップボタンを設置することが出来ない。

日本国外では、日本における保安通信協会(保通協)や公安委員会による検定制度に相当する制度が存在しない、あるいは制度が存在しても検定基準が異なるといった理由から、台に改造が加えられゲーム性が当該機種本来のものと異なる(いわゆる「裏モノ」化している)可能性があり、各国においてパチスロを打つ場合は注意が必要である。

アルゼIGTは、一部パチスロ機の海外バージョンを正式発売している。但し、デザインはパチスロと同じだがゲーム内容はスロットマシンのものとなっている。アルゼは、かつてはパチスロ筐体と同じ筐体(但し、沖縄仕様のアップライト型)からストップボタンを除去した筐体を使用していたが、現在は海外ではオリジナルの筐体を使用している。

日本のパチスロメーカー一覧

すべて五十音順。

現存するメーカー

括弧内の名称は略称・通称・ブランド名。同一グループに属するメーカーは主メーカーのところにまとめて《》囲みで掲載している。

かつて存在したメーカー

社名変更したメーカー

関連項目

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脚注

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  1. 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行規則・第三十五条 二-ロ(2)
  2. 日本電動式遊技機工業協同組合公式サイトの「パチスロとは?」では、誕生を「1965年」としている。
  3. 帝国データバンク;パチンコ業界の倒産動向調査
  4. 法律改正が痛手に パチスロ機の市場規模が半減 Business Media 誠 2009年8月19日
  5. ■ パチスロ4号機を無承認で設置、役員逮捕
  6. ■ 新宿・歌舞伎町でまたも「地下スロ」摘発■ 相次ぐ「地下スロ」摘発、今度は神戸で
    街から消えたはずのパチスロ「4号機」が……浮かぶ“闇の市場” Business Media 誠 2009年6月22日
  7. ■ 「地下スロ」に暴力団が組織ぐるみで関与か
  8. 店舗数、パチスロ設置台数が増加に転じる-全日遊連(遊技日本、2010年5月24日)
  9. 全日遊連加盟店、1万1300店割れに(@グリーンべると、2012年5月2日)
  10. 4号機は無制限営業様に作られたスペックが多かった
  11. ドリスタ -ミントのヒロイン救出大作戦-』のミントボーナスでは、SIN成立で終了するため獲得枚数0という可能性がある。また、『島育ち』のレギュラーボーナスの払い出しは14枚と小役と同等で、さらに絵柄を揃えるまでに1ゲーム必要なので実質的な獲得枚数は11枚となる。