ニキータ・ミハルコフ
テンプレート:ActorActress ニキータ・ミハルコフ (テンプレート:Lang-ru、ラテン文字転写例: Nikita Mikhalkov, 1945年10月21日 - ) は、ロシアの映画監督・脚本家・俳優。
来歴
1945年10月21日、モスクワで生まれる。父親は作家であり、ソヴィエト国歌およびロシア国歌作詞者のセルゲイ・ミハルコフ、母親も詩人という芸術家の家庭で育ち、幼少期からモスクワ芸術座で演技を学んだ。また、兄のアンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキーも映画監督である。
学生だった1964年にゲオルギー・ダネリヤ監督の『私はモスクワを歩く』に出演。兄アンドレイの『貴族の巣』(1969年)などにも出演するなど、1960年代は主に俳優として活動していた。その後、全ソ国立映画大学に入学し、ミハイル・ロンムの元で映画製作を学んだ。
1974年、初の長編『光と影のバラード』を発表。1976年の『愛の奴隷』はアメリカでも上映され、高い評価を得た。翌1977年の『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』はサン・セバスティアン国際映画祭でグランプリを受賞した。また、黒澤明監督がソ連で製作した『デルス・ウザーラ』(1975年)の支援も行った。
1991年、『ウルガ』が第48回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。同作は1993年のヨーロッパ映画賞で作品賞も受賞した。1994年には『太陽に灼かれて』が第47回カンヌ国際映画祭で審査員グランプリを受賞。翌1995年の第67回アカデミー賞では外国語映画賞も受賞した。1998年の『シベリアの理髪師』も興行的な成功を収めた。
2007年、9年ぶりの監督作となる『12人の怒れる男』を発表。翌2008年には第21回東京国際映画祭でチェン・カイコー監督とともに黒澤明賞を受賞した。
2010年代に入り、『太陽に灼かれて』の続編となる『戦火のナージャ』(2010年)と『遥かなる勝利へ』(2011年)を発表し、三部作を完成させた。なお、三部作の全てで娘のナージャを俳優として起用している。
作品
監督
- 光と影のバラード Свой среди чужих, чужой среди своих (1974年)
- 愛の奴隷 Раба любви (1976年)
- 機械じかけのピアノのための未完成の戯曲 Неоконченная пьеса для механического пианино (1977年)
- オブローモフの生涯より Несколько дней из жизни И. И. Обломова (1979年)
- 五つの夜に Пять вечеров (1979年)
- 絆 Родня (1983年)
- ヴァーリヤ! 愛の素顔 Без свидетелей (1983年)
- 黒い瞳 Очи чёрные (1987年)
- Автостоп (1990年)
- ウルガ Урга (1991年)
- Вспоминая Чехова (1993年)
- Анна: от 6 до 18 (1994年) ドキュメンタリー
- 太陽に灼かれて Утомлённые солнцем (1994年)
- シベリアの理髪師 Сибирский цирюльник (1998年)
- 12人の怒れる男 12 (2007年)
- 戦火のナージャ Утомлённые солнцем 2: Предстояние (2010年)
- 遥かなる勝利へ Утомлённые солнцем 3: Цитадель (2011年)
出演
- 私はモスクワを歩く Я шагаю по Москве (1964年) ゲオルギー・ダネリヤ監督
- 貴族の巣 Дворянское гнездо (1969年) アンドレイ・コンチャロフスキー監督
- SOS北極... 赤いテント Красная палатка (1969年) ミハイル・カラトーゾフ監督
- シベリアーダ Сибириада (1979年) アンドレイ・コンチャロフスキー監督
- ふたりの駅 Вокзал для двоих (1982年) エリダール・リャザーノフ監督
- 持参金のない娘 Жестокий романс (1984年) エリダール・リャザーノフ監督
- オーロラの下で (1990年) 後藤俊夫監督
- 太陽に灼かれて Утомлённые солнцем (1994年)
- シベリアの理髪師 Сибирский цирюльник (1998年)
- 12人の怒れる男 12 (2007年)
- 戦火のナージャ Утомлённые солнцем 2: Предстояние (2010年)
- 遥かなる勝利へ Утомлённые солнцем 3: Цитадель (2011年)