デフ・レパード
テンプレート:Redirect テンプレート:Infobox Musician デフ・レパード (Def Leppard) はイギリスのハードロックバンドである。1980年代初頭にアイアン・メイデン、サクソンなどと並んで、NWOBHM (New Wave Of British Heavy Metal) ムーヴメントの中心的存在となった(ただし、彼ら自身はNWOBHMバンドに括られることを嫌っていると言われる)。
イギリスのトップバンドのひとつで、アルバム総売上は6500万枚を超える(3500万枚は全米での売り上げ)。アルバム『炎のターゲット』と『ヒステリア』が空前の大ヒットを飛ばし、80年代を代表するロックバンドのひとつとなった。また、「VH1の最も偉大なハードロックバンド」において31位を獲得した。
目次
メンバー
オリジナル
- ジョー・エリオット (Joe Elliott) (ヴォーカル)
- リック・サヴェージ (Rick Savage) (ベース)
- リック・アレン (Rick Allen) (ドラム)
- スティーヴ・クラーク (Steve Clark) (ギター) 1991年没。
- ピート・ウィリス (Pete Willis) (ギター) 1982年脱退
現メンバー
- ジョー・エリオット (Joe Elliott) (リードヴォーカル、アコースティックギター、ピアノ)
- リック・サヴェージ (Rick Savage) (ベース、ヴォーカル)
- リック・アレン (Rick Allen) (ドラム)
- フィル・コリン (Phil Collen) (ギター、ヴォーカル)
- ヴィヴィアン・キャンベル (Vivian Campbell) (ギター、ヴォーカル)
ヒストリー
1977年~1979年
1977年、タプトン・スクールの生徒であったリック・サヴェージ(ベース)、ピート・ウィリス(ギター)、トニー・ケニング(ドラム)により、バンドの母体となるアトミック・マスが結成される。偶然、バスに乗り遅れたピートがジョー・エリオットと出会い、ギタリストとして勧誘するが、最終的にはジョー・エリオットはヴォーカリストとして参加。
バンド名は、元々"Deaf Leopard"(耳の聞こえない豹)であったが、ケニングの提案で現在の綴りに変更される。1978年1月には、スティーヴ・クラークがバンドに加入する。
同年11月には3曲のコンパクト盤であるDef Leppard EPのレコーディング作業に入る。この時トニーはバンドを去り、後任としてフランク・ヌーンが加入するが、彼も脱退し、その月末には当時15歳のリック・アレンが正式なドラマーとして加入する。その後フォノグラム社と契約。
1980年~1983年
1980年3月14日発売の『オン・スルー・ザ・ナイト』 (On Through the Night) でレコードデビュー。同作は全英チャートで15位となった。
1981年7月11日には2ndアルバムの『ハイ・アンド・ドライ』 (High 'n' Dry) をリリースする。プロデューサーはAC/DCなどを手がけたロバート・ジョン“マット”ランジ。ヨーロッパ・ツアーではオジー・オズボーン、ブラックフットのオープニングアクトを務めた。
翌年1982年7月、飲酒問題でバンドを解雇されたウィリスの後任として、元ガール(Girl)のフィル・コリンが加入する。
1983年1月20日は3rdアルバム、『炎のターゲット』 (Pyromania) を発表。同アルバムの先行シングル、「フォトグラフ」はMTVのリクエスト放送でマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」を超える支持を集めた。全米シングルチャートでは12位に入るヒットとなった。続くシングル、「ロック・オブ・エイジ」、「フーリン」により、アルバムは年末までに600万枚を売り上げ、全米チャートではマイケル・ジャクソンの『スリラー』に次ぐ最高2位を獲得した。アメリカではRIAAによりダイアモンドディスクに認定されている。
3月にはビリー・スクワイアをオープニングアクトに迎えて、ツアーを開始し、9月にはカリフォルニア州サンディエゴのジャック・マーフィー・スタジアムに5万5千人を集めた。
1984年~1989年
1984年2月、バンドは本拠地をアイルランドのダブリンへ移した。バンドは新しいアルバムの制作に取りかかるが、同年12月31日にドラマーのリック・アレンがシェフィールド郊外で交通事故を起こし、左腕を全て切断することになった。他のメンバーはアレン以外のドラマーは考えられないとメンバーチェンジを考えることなく、一時期はバンド自体を解散することも考えたが、事故報道を経て、そのような経緯を知ったシモンズ社がアレンの両足・右腕だけでも演奏が可能なカスタマイズのエレクトリック・ドラムを製作し、他のメンバーが、アレンがそれに対応しての復帰を待つかたちで、1986年にドニントンで開催されたモンスターズ・オブ・ロックでバンドは久々にライブを行った。
1987年8月3日には4thアルバム、『ヒステリア』 (Hysteria) を発表。セカンド・シングルの「アニマル」は全英シングルチャートで6位を記録し、母国イギリスでもスターの仲間入りを果たす。アルバム自体もその週には全英1位となった。4thシングル、「シュガー・オン・ミー」は全米シングルチャートで2位を記録。アメリカでの売り上げは前作『炎のターゲット』と比べ、スローペースであったが、ほぼ1年後の1988年7月に遂に全米でも1位を獲得する。10月には「ラヴ・バイツ」が全米1位、1989年1月には「アーマゲドン」が3位に入る。
『ヒステリア』は7つものシングルが全米でチャートインし、アルバム自体も3年間チャートインした。これまでに全米だけで1200万枚、全世界で2000万枚以上を売り上げている。
センター・ステージを採用したツアーは、15ヶ月間にわたって行われた。
1990年~1999年
1991年1月8日、ギタリストのスティーヴ・クラークが、アルコールと精神安定剤、鎮痛薬の過剰摂取で死亡。当時5作目のレコーディング中であったが、バンドは後任ギタリストは迎えず、残りのギターパートは全てフィル・コリンが担当。1992年3月30日に5枚目のアルバム『アドレナライズ』 (Adrenalize) を発表した。このアルバムは15カ国で1位を記録、全世界で700万枚以上を売り上げた。
アルバム発表後、クラークの後任として元ディオ 、ホワイトスネイク のヴィヴィアン・キャンベルが加入。翌年の1993年にはB面曲、未発表曲等を集めたアルバム『レトロ・アクティヴ』 (Retro Active) をリリースした。スウィートのカヴァー「アクション」や、映画『ラスト・アクション・ヒーロー』のサントラに使われヒットした「トゥー・ステップス・ビハインド」 (Two Steps Behind) はこのアルバムに収められている。
1995年には彼ら初のベスト・アルバム『デフ・レパード・グレイテスト・ヒッツ』 (Vault: Def Leppard's Greatest Hits (1980-1995) ) をリリース。新曲として「ラヴ・アンド・ヘイト」(When Love & Hate Collide)がシングル・ヒットし、チャートインした。
1996年に4年ぶりのスタジオ・アルバム『スラング』 (Slang) をリリースしたが、作風が過去の作品群とは異なっていたため、売り上げはふるわなかった。
1999年4月にはアルバム『ユーフォリア』 (Euphoria) を発表。先行シングル「プロミセス」 (Promises) がヒットし、メインストリーム・ロックのチャートで3週間1位をキープした。
2000年~
2001年、彼らのドキュメンタリーDVD『Hysteria - The Def Leppard Story』をリリースした。
2002年7月、8枚目となるスタジオ・アルバム『X』 (X) をリリースした。このアルバムは全米初登場で11位となったが、売り上げは思うように伸びずに終わった。このアルバムのツアーは、所属レコード会社との関係が悪かったため、レコード会社から資金を提供されず、バンドの費用負担で行われた。アルバムの売れ行きとは裏腹に、10000人程度収容できる会場をメインに行われた北米ツアーはほぼ満席で、大成功に終わった。
2004年、イギリスで『Best Of』、2005年にはアメリカで『Rock of Ages: The Definitive Collection』のベストアルバムをリリース、それぞれ最高位6位、10位を記録した。また2005年7月にフィラデルフィアで行われたLIVE 8(ライブ・エイト)に参加した。
2006年5月23日(日本発売6月28日)にカバー・アルバム『Yeah!〜イエーイ』 (Yeah!) をリリース。
2008年4月、10枚目のスタジオ・アルバム『ソングス・フロム・ザ・スパークル・ラウンジ』 (Songs from the Sparkle Lounge) をリリースし、全米5位、全英10位を記録した。同アルバムからの先行シングル「ナイン・ライヴス」はアメリカのカントリー歌手、ティム・マッグロウがボーカルと作曲で参加している。本作品のツアーより、ホワイトスネイクとのダブルヘッドライナーでのツアーを敢行、同年、来日を果たし、武道館公演が行われた。
2011年6月7日(日本発売7月20日)に、ライブ・アルバム『ミラー・ボール』(Mirror Ball)をリリース。11月に3年ぶりの来日コンサートが大阪、東京で行われた。
ディスコグラフィ
スタジオアルバム
発売年 | タイトル(邦題) | タイトル(原題) | UK | US | 全米売上 |
---|---|---|---|---|---|
1980年 | オン・スルー・ザ・ナイト | On Through The Night | 15 | 51 | 1,000,000 |
1981年 | ハイ・アンド・ドライ | High 'n' Dry | 26 | 38 | 2,000,000 |
1983年 | 炎のターゲット | Pyromania | 18 | 2 | 10,000,000 |
1987年 | ヒステリア | Hysteria | 1 | 1 | 13,000,000 |
1992年 | アドレナライズ | Adrenalize | 1 | 1 | 3,000,000 |
1996年 | スラング | Slang | 5 | 14 | 500,000 |
1999年 | ユーフォリア | Euphoria | 11 | 11 | 500,000 |
2002年 | X | X | 14 | 11 | - |
2006年 | Yeah!〜イエーイ! | Yeah! | 52 | 16 | - |
2008年 | ソングス・フロム・ザ・スパークル・ラウンジ | Songs From The Sparkle Lounge | 10 | 5 | - |
Def Leppard World - Discography
コンピレーションアルバム
発売年 | タイトル(邦題) | タイトル(原題) | UK | US | 全米売上 |
---|---|---|---|---|---|
1993年 | レトロ・アクティヴ | Retro Active | 6 | 9 | 1,000,000 |
1995年 | デフ・レパード・グレイテスト・ヒッツ | Vault:Def Leppard's Greatest Hits (1980-1995) | 3 | 15 | 4,000,000 |
2004年 | ベスト | Best of Def Leppard | 6 | - | - |
2005年 | ロック・オブ・エイジズ | Rock of Ages:The Definitive Collection | - | 10 | 1,000,000 |
ライブアルバム
発売年 | タイトル(邦題) | タイトル(原題) | UK | US | 全米売上 |
---|---|---|---|---|---|
2011年 | ミラー・ボール | Mirror Ball | 44 | 16 | - |
全米通算売上枚数 3500万枚
- 売上はRIAA(全米レコード協会)による認定枚数。
日本公演
- 5月17日 国立代々木競技場第一体育館、19日 横浜文化体育館、21日・22日 大阪フェスティバルホール、24日 名古屋市公会堂
- 6月11日 名古屋国際会議場センチュリーホール、13日 広島厚生年金会館、14日 福岡サンパレスホール、17日 大阪城ホール、18日・19日 日本武道館、21日 横浜文化体育館、22日 仙台サンプラザ
- 9月24日 名古屋市民会館、26日 大阪フェスティバルホール、27日 大阪厚生年金会館、28日 Zepp Fukuoka、30日・10月1日・2日 東京国際フォーラム ホールA、4日 パシフィコ横浜国立大ホール
- 11月17日 Zepp Sendai、18日 金沢市観光会館、20日 愛知厚生年金会館、21日 大阪厚生年金会館、22日 神奈川県民ホール、25日~27日 渋谷公会堂
- ホワイトスネイクとのジョイント・ツアー
- 10月23日・24日 日本武道館、27日 大阪城ホール、28日 名古屋 日本ガイシホール
- 11月5日 グランキューブ大阪、7日・8日 東京国際フォーラム ホールA