テオドロ・オビアン・ンゲマ
テオドロ・オビアン・ンゲマ・ンバソゴ Teodoro Obiang Nguema Mbasogo | |||
ファイル:Teodoro Obiang detail, 1650FRP051.jpg |
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任期 | 1979年8月3日 – | ||
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アフリカ連合
第9代総会議長 | |||
任期 | 2011年1月31日 – 2012年1月29日 | ||
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出生 | テンプレート:生年月日と年齢 スペイン領ギニア・アコアカン | ||
政党 | 赤道ギニア民主党 | 配偶者 | コンスタンシア・マンゲ・デ・オビアン |
テオドロ・オビアン・ンゲマ・ムバソゴ(Teodoro Obiang Nguema Mbasogo, 1942年6月5日 - )は、赤道ギニアの政治家。現在、同国大統領(第2代)。赤道ギニア民主党の指導者。名前のカタカナ表記は、ンゲマはヌゲマ、ムバソゴはンバソゴとも表記する。アフリカ連合総会議長(第9代)などを歴任した。
経歴
スペインの士官学校で学び、母国で大佐になった。1979年8月、叔父であるマシアス・ンゲマ大統領の独裁政権をクーデターで倒し、軍事政権を打ち立て、自らその議長として国家元首(最高軍事評議会議長)に就任した(同年10月には大統領就任)。政権奪取後は事実上の独裁体制をしき、1982年に民政移管などを定めた新憲法を採択させたが、クーデター未遂がたびたび発生した。
1987年に自らの一党独裁の政権党として赤道ギニア民主党(以下PDGE)結成。民主化を要求するスペイン、フランス、アメリカ合衆国の圧力を受け1991年11月、複数政党制を認めた新憲法が国民投票で承認されたが、大統領の免責規定などに野党勢力は反発して1993年の総選挙は野党の大半がボイコットする中、PDGEが大勝。1996年2月の大統領選も野党はボイコットし、ンゲマが得票率99%で4選、2002年12月で5選、2009年11月は得票率96.7%で6選した。現在でも強権支配を続けている。2011年8月にリビアのカダフィ政権が崩壊し、1969年以来政権を維持してきたカダフィ大佐が権力を失ったため、世界最長の政権を率いる人物となった(君主は除く)。2011年1月にはアフリカ連合総会議長に就任、1年間の任期を務めた。
外部リンク
- Torture and Poverty in Equatorial Guinea
- http://www.ecaligiuri.com Honorary Consul for Equatorial Guinea
- African Dictatorships and Double Standards: Where is the International Criticism Over US-Allied Equatorial Guinean Leader Teodoro Obiang? - Democracy Now!(July 10, 2008)(赤道ギニアの独裁者は米国の友人 日本語字幕付 デモクラシーナウ!ジャパン)
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
マシアス・ンゲマ
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 赤道ギニア共和国大統領
第2代:1979 -
|style="width:30%"|次代:
(現職)
テンプレート:S-dip
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
ビング・ワ・ムタリカ
|style="width:40%; text-align:center"|アフリカ連合総会議長
第9代:2011 - 2012
|style="width:30%"|次代:
ヤイ・ボニ