ダイナマイト・トミー
ダイナマイト・トミー(Dynamite Tommy 、1959年12月19日 - )は、日本のミュージシャン、実業家。
来歴
兵庫県西宮市出身。1986年COLOR結成。初期ヴィジュアル系の過激なステージングとカリスマ性、バイオレンスなスタイルでシーンに君臨した。1989年にはメジャーデビューを遂げている。1991年にはインディーズに復帰し、COLORのバンド活動とフリーウィルの運営に注力した。現在はDir en grey のエグゼクティヴプロデューサーとしてその手腕を奮っている。また、アーティスト活動を行う場合の為にティアーズミュージックとアーティスト契約をしている。
プロダクション経営者としては現在なお音楽業界への影響力は絶大であり、Dir en greyをソニーに移籍させたり、kannvalismをエイベックスに送りメジャーデビューさせる等メジャー業界でも顔が広い。ヴォーカリストとしては歌唱力があるわけでは決してない(これは本人も認めており度々これを自分でネタにしている)。自身の後進であるDir en greyの京が急性難聴を発症した際も「彼と普通に話せなくなるのは問題だが、彼のボーカルスタイル上、うまく歌える事は何の意味も持たない」という趣旨のコメントを残している。テンプレート:要出典 また、筋肉少女帯の大槻ケンヂが音楽雑誌上で「俺も下手だと言われてきたが、俺より下手なのはトミーさんと2、3人程度しかいなかった」と評したほどであった。
音楽以外のエンターテイメントのプロデュースにも関わり、「グラップラー刃牙」のTVアニメ化の企画や、雅-miyavi-主演の映画「おれさま」のシナリオなどを手がけた。初監督作品となる映画「attitude」が2008年7月公開。
2007年 Dir en greyのビデオ制作など架空の業務を発注して、アサツー ディ・ケイから3億2400万円を騙し取った疑いが持たれ逮捕される[1]。しかし、証拠不十分のため、告訴は取り下げられた。
2009年7月、1980年代に「東のX、西のCOLOR」として一世を風靡した、元Xのベーシスト沢田泰司らとともにバンド「The Killing Red Addiction(TKRA)」を結成。ロサンゼルスのWhisky A GoGoという、ロックバンドの聖地的なライブハウスでお披露目ライブを開催した。