スバル・ジャスティ
ジャスティ(JUSTY )はスバルブランドを展開する富士重工業で販売されていたBセグメントの車である。台湾大慶汽車では初代をベースに5ドアセミノッチバックセダンに仕立てた「TUTTO(テュット、金美滿)」も生産・発売されていた。
目次
歴史
初代(1984年-1994年)
- 1984年
- 当時の軽自動車、スバル・レックスをベースに(ドアは流用)、ボディを拡大して発売開始。エンジンは直3 SOHC 1L(EF10型)で、ボディタイプは3ドアHBと5ドアHBの2タイプ、それぞれにFF(前輪駆動)と4WD(パートタイム四輪駆動)がラインアップされていた。4WD仕様は当時のレックス4WDと同様、シフトノブ内にある赤い4WDスイッチをワンプッシュするだけでFF⇔4WDの切り替えが可能であった。
- 1985年秋
- 『火の玉ボーイ』というキャッチコピーとともに、3気筒1.2Lエンジン〔EF12型。1気筒あたり3バルブ(吸気2バルブ、排気1バルブ)仕様〕を追加、シリーズ充実化を図る。
- 1987年
- バンドーネタイプのベルト式変速機ECVTを量産車世界初で採用するも、他社同クラスのAT車よりも高価であったことから、国内での商業的には失敗であった。しかし、アメリカ合衆国では、1987年 - 1989年まで3年連続で燃費ベストカーに選ばれるほど燃費が良かった。
- 1988年
- ビッグ・マイナーチェンジを行い、外装デザインが大幅に変更された。エンジンは1.2LのEF12型のみとなり、ECVT+パートタイム4WDの機種が選べるようになった。
- 1991年
- ブレーキのノンアスベスト化やパワーステアリングとオーディオの標準装備化などのマイナーチェンジを行った。
- 1994年
- 生産終了。
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台湾仕様 テュット
- SUBARU TUTTO 02.JPG
台湾仕様 テュット
2代目(1994年-2003年)
1994年にフルモデルチェンジ。日本ではリッターカー市場から撤退したため欧州仕様のみとなった。欧州仕様ではスズキのハンガリー工場で生産された「スイフト」(当時の日本ではカルタスと名乗っていた)のOEM供給を受けた。ただし3ドア・5ドアのハッチバックのみ。
- Subaru Justy 1.JPG
後期型
3代目(2003年-2007年)
2003年には当時同じGM傘下であったスズキ・イグニス(日本名クルーズ)のOEMとなり、車名にも「G3X」がついた。イグニスがモデルチェンジ(車名をスイフトに変更し、車体も日本向けと共通化)した後も2007年いっぱいまで販売されていた。 テンプレート:-
4代目(2007年-2011年)
2007年2月26日、富士重工業は同社の筆頭株主・トヨタ自動車の傘下であるダイハツ工業よりブーン(欧州名シリオン)のOEM供給を受け、新型ジャスティとして欧州で発売すると発表。同年秋より発売を開始した。エクステリアに関してはフロントバンパーがオリジナルに差し替えられている点とエンブレム類を除けばほぼ同じである。エンジンは1Lの1KR-FE型3気筒のみで、スポーティな「アクティブ」とベーシックな「トレンド」の2グレード構成。シリオン同様5MTの設定もある。年間約6000台をダイハツ本社(池田)工場にて生産。型式はM300F。トレジアを後継車とする形で生産終了。 テンプレート:-
後継車の模索
富士重工はジャスティの後継車種を開発するに当たって、資本関係上日産・パルサーを製造していた縁から、2代目日産・マーチ(K11型)を日産と共同開発またはOEM生産供給を模索した時期があった。しかし1989年発売のスバル・レガシィが思いのほかヒットし、スバル・インプレッサという中排気量車への集中投資の必要性が生じたことから開発は断念された。
その他
初代モデルのエンジンは、日本国内向けでは1,000cc、1,200ccともにEFCと呼ばれた電子制御キャブレターによる燃料供給システムだけであった。 しかし、アメリカ合衆国カリフォルニアの排ガス規制に対応するため、1989年には1,200ccエンジンに燃料噴射システムを備えたモデルを生産している。 このモデルは、O2センサー、プレッシャセンサー、吸気温センサー、スロットルセンサー、8bitのCPUを備えたコントロールユニット等で制御されるDジェトロニックシステムで、富士重工内ではEMPI(Electric Multi-point Injection)と呼ばれていた。 その翌年の1990年、このモデルはドイツ・スイス・オーストリア向け仕様としても輸出されているが、アメリカ向けにはキャタライザが2個であったのに対し、ヨーロッパ向けにはキャタライザは1個であった。