ジョバンニ・トラパットーニ

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テンプレート:サッカー選手 ジョバンニ・トラパットーニ(Giovanni Trapattoni、1939年3月17日 - )は、イタリアクザーノ・ミラニーノ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。

監督としてイタリア、ドイツポルトガルオーストリアの異なる4ヶ国でリーグ制覇を成し遂げ、ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)主催の3大タイトル(UEFAチャンピオンズカップUEFAカップUEFAカップウィナーズカップ[1]及びトヨタカップの両方を制覇した唯一の人物。

来歴

選手時代

1959年セリエAACミランに入団し、リーグを2回、コッパ・イタリアを1回、チャンピオンズカップを2回優勝し、活躍を見せた。イタリア代表としても17試合に出場し、1962年のチリW杯にも参加。1972年ヴァレーゼに在籍したのを最後に選手を引退した。

監督時代

その後、1973年チェーザレ・マルディーニの後を受けてACミラン監督として指導者としてのキャリアをスタート。1976年ユヴェントスの監督に就任すると、初年度でセリエA優勝を果たし、1986年までの在籍期間にUEFAチャンピオンズカップ優勝等、13個のタイトル獲得に力を発揮。さらに指揮を執ったインテルバイエルン・ミュンヘンでも多くのタイトルを獲得した。

2000年EURO2000終了後にディノ・ゾフがイタリア代表監督を辞任したのを受けて代表監督に就任。2002年日韓W杯EURO2004などで指揮を執ったが、守備的な戦術によって豊富なタレントを活かすことは出来ず、日韓W杯ではベスト16止まり。EURO2004ではグループリーグ敗退という結果に終わる。

EURO2004終了後に代表監督を辞した後、ベンフィカレッドブル・ザルツブルクの監督を務め、ポルトガルとオーストリアでリーグ優勝を果たした。

2007-08シーズン終了後、ザルツブルク監督の職を辞し、アイルランド代表監督に就任した[2]2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではグループ2位となり、フランスとのプレーオフに臨んだが、アンリのハンドが見逃される誤審もあり敗北し、本大会出場はならなかった。

エピソード

テンプレート:スポーツ選手の出典明記

  • 守備を最重要視する監督として知られており、結果は残すが攻撃的なサッカーは滅多に行わない。そのため、確実に勝ち点を稼いでいく堅実的なタイプの監督であるが、同時に彼の率いるクラブからは魅力が感じられない、と批判の対象になることも多い。一方で、規律正しいサッカーをチームに実践させ、ドイツでも長年指揮を取ったことからイタリアでは「テデスコ」(Il Tedesco、ドイツ人)と頻繁に呼ばれている。バイエルン・ミュンヘン監督時代は、フランツ・ベッケンバウアーからの評価は高かった。このこともあり、後にレッドブル・ザルツブルクの監督を務めている。
  • トラパットーニは大の話好きであり、また難解な独自の言い回しを用いるために国際試合での記者会見などでは同時通訳者の頭を悩ませている。
  • 練習や試合中は、独特の音色を出す指笛で選手を呼ぶ。この指笛は、幼い頃羊飼いをしていた友人に教わったものだという。「その友人は指笛の名人でね。指一本で様々な音色を出せたんだ。私にはとても真似できなかったよ」(トラパットーニ談)。

獲得タイトル

選手時代

監督時代

ユベントス
インテル
バイエルン・ミュンヘン
ベンフィカ
ザルツブルク

脚注

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外部リンク

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  1. UEFA3大タイトルを獲得した人物は、トラパットーニ以外にはバイエルン・ミュンヘン等を率いたドイツウド・ラテックがいる。
  2. AFPBBニュース 2008年5月2日配信