ジャンルカ・パリュウカ
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ジャンルカ・パリュウカ(Gianluca Pagliuca, 1966年12月18日 - )は、イタリア・ボローニャ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
1990年代イタリアを代表するゴールキーパー。抜群の反射神経を持ちハイボール処理に能力を発揮する。ディフェンダーへのコーチングも巧く、常に大声を張り上げチームを鼓舞した。
1984年、地元のクラブチームボローニャFCでデビュー。その後UCサンプドリアに移籍し1990-91のクラブとして初のリーグ優勝に貢献した。 その後、活躍が認められインテルに移籍。1994-95シーズンから1997-98シーズンまでの4シーズン連続でリーグ戦全試合出場を達成し、チームに欠かせない存在としてサポーター、チームメートから慕われた。
イタリア代表としては1991年6月16日のソビエト連邦戦で代表デビューを飾ると、1994年のワールドカップ・アメリカ大会に出場。同年ワルター・ゼンガとの交換でインテルへ移籍。さらに1998年のワールドカップ・フランス大会にも出場した。
2006年9月17日のFCメッシーナ戦で通算出場記録を571とし、ディノ・ゾフの持つセリエAのゴールキーパー最多出場試合記録を更新した。
エピソード
- ワールドカップで初めて退場処分を受けたゴールキーパーである(1994年アメリカ大会、ノルウェー戦)。
- プライドが高く、98-99シーズンにサンプドリアに4失点を喫したときには自ら交代を要求する場面もあった。
- インテル時代はその強烈な個性を監督のマルチェロ・リッピに嫌われ、アンジェロ・ペルッツィの控えになることを拒否し、古巣のボローニャFCに移籍。そのシーズンにインテルに3-0で勝ったときにはリッピに向かって、「誰かさんは俺に謝らなくちゃならないな。誰かって? 俺のプライドをいたく傷つけたヤツさ」とコメントした。
- スーパーセーブの他にも不甲斐ないチームメイトを後方から鼓舞するなど、90年代中盤から後半にかけてのインテルの顔で、チームメイトやファンからの信頼も厚かった。
選手経歴
- 1984-1986 テンプレート:Flagicon ボローニャFC
- 1986-1994 テンプレート:Flagicon UCサンプドリア
- 1994-1999 テンプレート:Flagicon インテル
- 1999-2006 テンプレート:Flagicon ボローニャ
- 2006-2007 テンプレート:Flagicon アスコリ・カルチョ
受賞歴
個人賞
- グリエン・ドーロ : 1996-97, 2004-05
クラブ
- UCサンプドリア
- セリエA : 1 1990-91
- コッパ・イタリア : 3 1987–88, 1988–89, 1993–94
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 1 1991
- UEFAカップウィナーズカップ : 1 1990
- インテルナツィオナーレ・ミラノ
- UEFAカップ : 1998
代表
- テンプレート:ITAf
- FIFAワールドカップ : 準優勝 1994