シャトル・ハイウェイライン

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テンプレート:出典の明記 株式会社シャトル・ハイウェイライン (略称:SHL) は、かつて神奈川県横須賀市新港町に本社を置いていた海運フェリー)会社。

概要

ニッポー物流サービスなど九州地区の中堅陸運会社が中心となって設立され、他に北九州市日本磁力選鉱や、京浜急行電鉄、横須賀市なども出資、株主として名を連ねていた。 社長の高宮信夫はじめ幹部社員に商船三井 出身者が多かったが、同社との関係はなかった。

2000年10月に大分~横須賀間の一般旅客定期航路事業の免許を取得し2002年から新造船2隻で運航を予定していたが、資金面の問題から建造を断念した。 その後九越フェリーが保有していたれいんぼうべるれいんぼうらぶを買収または傭船することに方針変更したが、交渉がまとまらず頓挫。両船は他社へ売却された。 船舶購入の目処が立たないうちから「就航予定」を謳いセールスをかけたが、就航はズルズルと延期になるばかりであった。

結局かつて商船三井フェリーが運航し、退役後長崎市の船舶保有会社ハヤシマリンが保有、長崎港に係船されていた中古船2隻を購入し、2004年4月17日から運航を開始した。長距離トラックの利用しやすい運航ダイヤを設定し、旅客に関しては重点が置かれていなかった。 当初は固定荷主がなかなか付かず(株主であり「シャトル荷主協同組合」を結成していた各社も総じて本航路の利用には消極的であった)、業績が伸び悩んだ。就航開始から数ヶ月は一便にトラック数台ということが普通で、貨物・旅客ともに乗船ゼロというケースさえあった。

しかし地道な営業努力と、関東・九州間で競合するマリンエキスプレス の撤退等の結果徐々に乗船台数は増加、満船も珍しくなくなったものの、2006年3月期末時点で約42億900万円の債務超過に陥っていたことに加え、折からの原油価格高騰の煽りを受けて経営を更に圧迫、2007年9月3日に自己破産を申請し、倒産した。就航から運航停止まで約3年半という短さであった。 運航開始よりもかなり前から大分市内の消火栓標識に「フェリー 横須賀ゆき↑」という広告を出していたりしたが、地元でさえその存在を知る人がほとんどいないほど影の薄い存在に終わってしまった。

沿革

  • 1999年(平成11年)12月3日 - 会社設立。
  • 2004年(平成16年)4月17日 - 運航開始。
  • 2007年(平成19年)9月3日 - 横浜地方裁判所横須賀支部に自己破産を申請し事業停止。申請時点に於ける負債総額は約74億5,000万円。
同日出港便は欠航し翌日に航路休止となったため、同月1日(土曜日)出港便が事実上の最終便となった。

航路

ファイル:Shuttle highway line Kurihama terminal.JPG
航路休止後も残る久里浜支店と乗り場
(2009年4月3日)

船舶

  • しゃとる おおいた
15,137総トン、全長178m、全幅24.8m、出力28,800馬力、航海速力22.9ノット(最大24.2ノット)。
旅客定員285名。車両積載数:トラック175台・乗用車104台。林兼造船(下関)建造。
1987年6月竣工。元・日本沿海フェリー(のち、ブルーハイウェイラインに社名変更)「おおあらい丸」→「さんふらわあ おおあらい」。「COSMO 3」に改名後、2004年4月より「しゃとる おおいた」として運航していた。
  • しゃとる よこすか
11,274総トン、全長178m、全幅25.0m、出力29,700馬力、航海速力23.0ノット(最大25.0ノット)。
旅客定員284名。車両積載数:トラック175台・乗用車104台。石川島播磨重工東京工場建造。
1989年3月竣工。元・日本沿海フェリー「えりも丸」(2代目)→「さんふらわあ えりも」。「COSMO 5」に改名後、2004年4月より「しゃとる よこすか」として運航していた。

もともと船齢が15年を超える老朽船であるうえ、余裕のない運航ダイヤが災いして機関トラブルを起こしやすく、欠航や大幅な遅延が頻発していた。


参考文献

  • 日本船舶明細書I 2008年版 - 社団法人 日本海運集会所(2007年12月30日発行)

関連項目

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