シベリア文太
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シベリア文太(シベリアぶんた、1964年5月24日 - )は、日本のお笑い芸人。旧名、越後屋 文太。本名、玉村 輝彦(たまむら てるひこ)。
来歴・人物
- 新喜劇の研究生として
- 1986年にオーディションで吉本入り。吉本新喜劇の研究生になり、同時に心斎橋筋2丁目劇場にも出演。この頃はまだ本名で活動していた。新喜劇退団後は漫談に転向し、顔が菅原文太に似ていてモノマネをやっていたので、越後屋文太に改名する。しかし売れず、1990年に創設された福岡吉本に一時期、出向の形で所属していたこともある。
- 苦悩する芸風と芸名改名
- 芸風は観客を寒さのどん底に突き放すスベリ芸。あまりに受けないため、シベリア文太に再度改名した。一部には根強いファンもいて、島田紳助も大変気に入っていた。このため、『クイズ!紳助くん』の「なにわ突撃隊」にメンバーとして採用されていた。
- 東京進出・間寛平の門下へ
- 関西でブレイクしないまま、無謀にも東京進出、同時に間寛平の付き人をはじめる。東京でもブレイクはしていないが、他の芸人にエピソードを語られることがある。
芸風・エピソード
- 営業中心の仕事をしているが、稀にテレビでもその芸風を披露する。滑舌が非常に悪い。
- 居酒屋から出てきてバイクに跨ると警官に「居酒屋から出てきたのに、バイクに乗るのか!?」と職務質問され、「俺は一口も酒を飲んでない、バイクで来てるのに酒なんか飲んだらとんでもないことになるやろ!」(事実、後輩のほっしゃん。に奢っただけ)と抗議すると警官から「お前ベロベロやないか!!」と危うく連行されかけた。またその食事も誘われたほっしゃん。曰く「6回ぐらい聞きなおしてやっと、『飯食いに行こう』だって分かった」(「ほっしゃん。、ムシ食いに行こう」と聞こえたらしく、その度に「えっ!?」と繰り返した)。
- 金沢市での仕事の為にキップを買おうと「金沢まで」と言ったら駅の職員に「え?カナダ?」と聞き返されたことがある(2006年の正月番組にて本人が告白)。
- ほっしゃん。の話によると、ドリームキャストのゲームシーマンを発売日に購入し、マイクを繋ぎ「これから、よろしくな!」と挨拶したところ、ゲームの中のシーマンに「え?なんて?」と言われた。
- アルバイトでテレビショッピングの電話苦情センターの受付をした際、一番多かった苦情が「今さっき電話出た奴、何言うてるかわからん!!」だという(人志松本のすべらない話にて、ほっしゃん。が暴露した。この話を聞いた松本人志も「芸人としては、致命的やねんけど…」とコメントしている)。
- しゃべりの話し出しは「ようこそ笑いの国へ」である。
- 珠算一級の資格を持つ。
- 芸人としての年収は約200万円であることが、「芸能人格付けチェック」で発覚した(その際、高級チワワ5匹と自身の年収を比べられて、勝った)。また、この番組に出演した際にスベリ芸を披露し、浜田雅功から「どう扱ったらええねん?」と絡み方を相談された千原ジュニアは「僕は別の先輩に、『無視』と教わりました」とアドバイスした。
- やりすぎコージーのドライブ企画で、音声認識タイプのカーナビで「東京サマーランド」と発音した際、あまりの滑舌の悪さにカーナビが「大多喜城跡」「小の山荘」と誤認識を連発した。
- 両耳にパンを挟んで「僕の、僕のファンの人?面食い!」「やっぱ!!パンの耳は聞こえにくいなぁ~」というギャグがある。
- 博多華丸・大吉の福岡時代の教育係だった(福岡吉本の1期生で右も左も分からなかった二人に先輩として文太を事務所が大阪からスカウトした)。博多大吉曰く「事務所からは『さあ、盗め!』と言われたが一体何を盗めと言うのか」。