クラウディオ・ラニエリ
テンプレート:サッカー選手 クラウディオ・ラニエリ(Claudio Ranieri、1951年10月20日 - )はイタリア・ローマ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。イタリア、スペイン、イングランド、フランスといった欧州の主要なサッカーリーグで監督を務めた経験があり、バレンシアCF、チェルシーFC、ユヴェントス、ASローマ、インテル、ASモナコなどのクラブを率いた。
来歴
選手時代
1973年にASローマでプロデビュー。しかし、出場機会に恵まれず、2シーズンで6試合に出場したのみで移籍。その後はカタンザーロ、カターニア、パレルモと渡り歩き、主にDFとしてプレー。1985-86シーズンを最後に引退した。
指導者時代
- キャリア初期
1986年より監督としてのキャリアを開始。イタリア下部のチームを率いた後、1988年にカリアリの監督に就任。同クラブをセリエC1からセリエAまで引き上げる。この実績が認められ、1991年にはナポリの監督に就任。就任2年目に成績不振で解任されたが、衰えの見えていたディエゴ・マラドーナに代わり、若手だったジャンフランコ・ゾラの才能を見出した。1993年よりフィオレンティーナの指揮官に就任すると、セリエAへの昇格に成功。1996年にはコッパ・イタリア優勝に導いた。
- バレンシア(第1期)
1997年にはスペインに新天地を求め、バレンシアの監督に就任。カウンターアタックによる攻撃スタイルを確立し、2シーズンの間にバレンシアを上位争いに食い込むチームへと成長させた。また、人材の育成や獲得にも手腕を発揮。下部組織出身のガイスカ・メンディエタやミゲル・アンヘル・アングロを育て、レアル・マドリードからサンティアゴ・カニサレスを獲得し正GKに据えた。
- チェルシー
アトレティコ・マドリードの監督を経て、2000年にイングランドの名門チェルシーFCの監督に就任。フランク・ランパードやウィリアム・ギャラスを獲得し、未来のキャプテンであるジョン・テリーを抜擢する一方で、ベテランのデニス・ワイズを放出するなどチームの改革に成功した。2003年夏にロマン・アブラモビッチが新オーナーになると、1億5,000万ユーロを投じる空前の大型補強が行われる。期待が高まる中で迎えた2003-04シーズンは、無敗で優勝したアーセナルに次ぐ国内リーグ2位、UEFAチャンピオンズリーグではアーセナルを破ってのベスト4と一定の結果を出したが、求められていたタイトル獲得はならず。ラニエリはシーズン終了と同時に解任され[1]、ジョゼ・モウリーニョがその後釜に座ることになった。
- バレンシア(第2期)
2004年夏、バレンシアの監督に復帰[2]。開幕前にマルコ・ディ・ヴァイオ、ステファノ・フィオーレ、エミリアーノ・モレッティといったイタリア人の戦力を集め話題になる。しかし、成績は振るわずシーズン途中の2005年2月に解任された[3]。
- パルマ
空白期間を経て、2007年2月にパルマFCの監督に就任。冬の移籍市場で加入したジュゼッペ・ロッシの大活躍にも助けられ、就任時に18位だったチームを立て直し、最終的に12位まで順位を上げてセリエA残留に成功した。
- ユヴェントス
パルマとは契約を延長せず、翌2007-08シーズンよりセリエAに復帰するユヴェントスの指揮官に3年契約で迎えられる[4]。昇格直後のチームを率いてリーグ戦を3位で終え、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
就任2年目の2008-09シーズンは、チャンピオンズリーグのグループステージでレアル・マドリードに連勝したものの、決勝トーナメント一回戦でチェルシーFCに敗北。国内リーグでも勝ちきれない試合が続き、2009年5月18日に解任された[5]。
- ローマ
2009年9月2日、開幕直後に辞任したルチアーノ・スパレッティの後任として、古巣であり出身地のクラブでもあるASローマの監督に就任[6]。実利優先の堅実なサッカーを導入し、チームを上昇気流に乗せることに成功[7]。優勝したインテルと勝ち点2差の2位でシーズンを終え、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を得た。しかし、翌シーズンは一転して不振に陥り、シーズン途中の2011年2月20日に辞任した[8]。
- インテル
2011年9月22日、ジャン・ピエロ・ガスペリーニの後を受けてインテルの監督に就任した[9]。契約期間は2013年6月30日までの二年間。7連勝を挙げるなど一時は好調だったが、1月末から9戦勝ちなし、UEFAチャンピオンズリーグもベスト16で敗退と低迷。ユヴェントスに0-2で敗れたあと、解任された[10]。
- ASモナコ
2012年5月、リーグ・ドゥのASモナコの監督に就任。2012-13シーズンは1部昇格に導き、大量補強をした2013-14シーズンは2位に導きチャンピオンズリーグ出場権を得るものの、2014年5月に解任。
選手歴
- テンプレート:Flagicon ASローマ 1973-1974
- テンプレート:Flagicon カタンツァーロ 1974-1982
- テンプレート:Flagicon カターニア 1982-1984
- テンプレート:Flagicon パレルモ 1984-1986
指導歴
- テンプレート:Flagicon ヴィゴール・ラメツィア: 監督 1986-1987
- テンプレート:Flagicon カンパニア: 監督 1987-1988
- テンプレート:Flagicon カリアリ: 監督 1988-1991
- テンプレート:Flagicon ナポリ: 監督 1991-1992
- テンプレート:Flagicon フィオレンティーナ: 監督 1993-1997
- テンプレート:Flagicon バレンシアCF: 監督 1997-1999
- テンプレート:Flagicon アトレティコ・マドリード: 監督 1999
- テンプレート:Flagicon チェルシーFC: 監督 2000-2004
- テンプレート:Flagicon バレンシアCF: 監督 2004-2005
- テンプレート:Flagicon パルマFC: 監督 2007
- テンプレート:Flagicon ユヴェントス: 監督 2007-2009
- テンプレート:Flagicon ASローマ: 監督 2009-2011
- テンプレート:Flagicon インテル: 監督 2011-2012
- テンプレート:Flagicon ASモナコ: 監督 2012-2014
- テンプレート:Flagicon ギリシャ代表: 監督 2014-
監督としての成績
クラブ | リーグ | 就任 | 退任 | 成績 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
G | W | L | D | 勝率(%) | ||||
カリアリ | テンプレート:Flagicon | 1988年 | 1991年 | 72 | 23 | 19 | 30 | 31.94 |
ナポリ | テンプレート:Flagicon | 1991年 | 1993年 | 68 | 25 | 19 | 24 | 36.76 |
フィオレンティーナ | テンプレート:Flagicon | 1993年 | 1997年 | 140 | 56 | 34 | 50 | 40 |
バレンシアCF | テンプレート:Flagicon | 1997年 | 1999年 | 76 | 35 | 26 | 15 | 46.05 |
アトレティコ・マドリード | テンプレート:Flagicon | 1999年7月1日 | 2000年3月3日 | 38 | 9 | 18 | 11 | 23.68 |
チェルシーFC | テンプレート:Flagicon | 2000年9月18日 | 2004年5月31日 | 199 | 107 | 46 | 46 | 53.76 |
バレンシアCF | テンプレート:Flagicon | 2004年6月16日 | 2005年2月25日 | 36 | 15 | 12 | 9 | 41.66 |
パルマFC | テンプレート:Flagicon | 2007年2月12日 | 2007年5月31日 | 16 | 7 | 6 | 3 | 43.75 |
ユヴェントス | テンプレート:Flagicon | 2007年7月1日 | 2009年5月18日 | 94 | 46 | 18 | 30 | 48.94 |
ASローマ | テンプレート:Flagicon | 2009年9月1日 | 2011年2月21日 | 90 | 50 | 23 | 17 | 55.56 |
インテル | テンプレート:Flagicon | 2011年9月22日 | 2012年3月26日 | 35 | 17 | 13 | 5 | 48.57 |
ASモナコ | テンプレート:Flagicon | 2012年5月30日 | 2014年5月20日 | 75 | 43 | 9 | 23 | 57.33 |
ギリシャ代表 | テンプレート:Flagicon | 2014年7月25日 | 在任中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
獲得タイトル
- セリエB 優勝: 1993–94
- コッパ・イタリア: 1996
- スーペルコッパ・イタリアーナ: 1996
- コパ・デル・レイ: 1999
- UEFAインタートトカップ: 1998
- UEFAスーパーカップ: 2004