カサブランカ (映画)
テンプレート:Infobox Film 『カサブランカ』(テンプレート:Lang-en)は、1942年製作のアメリカ映画。
目次
概要
第二次世界大戦にアメリカが参戦した1942年に製作が開始され、同年11月26日に公開された、親ドイツのヴィシー政権の支配下にあったフランス領モロッコのカサブランカを舞台にしたラブロマンス映画。監督はマイケル・カーティス。配給はワーナー・ブラザーズ。
評価
1943年に第16回アカデミー作品賞を受賞。監督のマイケル・カーティスは監督賞を、脚本のジュリアス・J・エプスタイン、フィリップ・G・エプスタイン、ハワード・コッチの三名が脚色賞を受賞した。
文化的、歴史的、芸術的に重要なフィルムを保存するために、1989年に始まったアメリカ国立フィルム登録簿(National Film Registry)で最初にセレクトされた25本の1本である。アメリカ映画協会(AFI)が1988年から始めた、AFIアメリカ映画100年シリーズでは以下のとおりである。アメリカ映画ベスト100(1998年)の2位、スリルを感じる映画ベスト100(2001年)の42位、情熱的な映画ベスト100(2002年)の1位、アメリカ映画主題歌ベスト100(2004年)の2位(『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』"As Time Goes By")、感動の映画ベスト100(2006年)の32位、アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)(2007年)では、順位を一つ落としたものの3位。65年経てもなお、不滅の人気を誇るロマンス・フィルムである。
なお、映画スターベスト100(1999年)の男性1位にハンフリー・ボガート、女性4位にイングリッド・バーグマンが選ばれている。また、ヒーローと悪役ベスト100(2003年)の4位には、ボガートの演じたRickが選ばれた。米脚本家組合(WGA)は、1930年以降の映画の中より「偉大な脚本歴代ベスト101」の1位として選出した。
なお、製作サイドも戦時情報局も、「この作品はプロパガンダ映画である」とは正式には一言も表明していないものの、下記のようなあきらかな反枢軸国(ドイツとヴィシー政権)シーンが多くちりばめられていることもあり、アメリカのエンターテインメント業界誌である「バラエティ」誌は、当時この映画を「見事な反枢軸国プロパガンダである」と評している[1] 。
反枢軸国シーン
ラブロマンス映画ではあるものの、アメリカも参戦した第二次世界大戦における国際的な問題を中心に置いて製作された作品であることもあり、上記のようにプロパガンダ的要素がふんだんに含まれている。
作品内ではアメリカの敵国の1つであったドイツ人を徹底的に悪役として扱っているだけでなく、ドイツ軍に占領されたフランス本土と、北アフリカなどのフランスの植民地における親独政府であったフィリップ・ペタン率いるヴィシー政権を暗に非難し、ヴィシー政権に抵抗していた「自由フランス」を支持する「反独シーン」が多く登場する[2]。
- 巻頭で対独レジスタンスのフランス人が、ヴィシー政権首班のフィリップ・ペタン元帥の肖像画の前でヴィシー政権の警官に撃たれ倒れるシーン。
- ドイツ銀行の小切手を受け取らず、破り捨てるシーン。
- ラズロに協力を申し出る男が、ラズロの味方である合図として自由フランスのシンボルである「ロレーヌ十字」のついた指輪を見せるシーン。
- ラストシーンで、実は対独レジスタンスのシンパであったことを明らかにしたルノー署長が、ミネラルウォーターに描かれた「ヴィシー水」のラベルを見てゴミ箱に投げ捨てるシーン。
なおドイツの同盟国であったイタリアは、カサブランカ駐在のイタリア軍将校が空港にシュトラッサー少佐を迎えに行くものの相手にされないなど、軽んじて扱われているが、一方カサブランカで事業を営むイタリア人事業家のフェラーリがリックの潜在的な協力者となるなど、軍民で相反する扱いとされている。なお枢軸国の主要構成国の日本は、太平洋戦線から遠く離れたカサブランカを舞台にしたこの作品内では扱われていない。
スタッフ
- 監督:マイケル・カーティス
- 撮影:アーサー・エディソン
- 音楽:マックス・スタイナー
- 助監督:ドン・シーゲル
キャスト
- リック・ブレイン:ハンフリー・ボガート
- イルザ・ラント:イングリッド・バーグマン
- ヴィクトル・ラズロ:ポール・ヘンリード
- ルノー署長:クロード・レインズ
- シュトラッサー少佐:コンラート・ファイト
- フェラーリ:シドニー・グリーンストリート
- ウーガーテ:ピーター・ローレ
- サム:ドーリー・ウィルソン
- カール(ウェイター):S・Z・サコール
- サッシャ(バーテンダー):レオニード・キンスキー
- イヴォンヌ:マデリーン・ルボー
- アニーナ・ブランデル:ジョイ・ペイジ
- エミール(ディラー):マルセル・ダリオ
- オランダ人の銀行家:トーベン・マイヤー
- リックにカジノ入りを拒否されるドイツ人バンカー:グレゴリー・ゲイ
- ギターを持って歌う女性歌手:コリンナ・ムラ
- アメリカ人:モンテ・ブルー
- ウェイター:レオ・ホワイト
日本語吹き替え版
俳優 | 日本語版1 | 日本語版2 | 日本語版3 | 日本語版4 |
---|---|---|---|---|
ハンフリー・ボガート | 久米明 | 津嘉山正種 | 有本欽隆 | 東地宏樹 |
イングリッド・バーグマン | 水城蘭子 | 塩田朋子 | 日野由利加 | 甲斐田裕子 |
ポール・ヘンリード | 仁内建之 | 土師孝也 | 諸角憲一 | 森田順平 |
クロード・レインズ | 和田文夫 | 青野武 | 中博史 | 後藤哲夫 |
コンラート・ファイト | 杉田俊也 | 加藤精三 | 丸山壮史 | 金尾哲夫 |
ドーリー・ウィルソン | 稲葉実 | 奈良徹 | 竹田雅則 | |
シドニー・グリーンストリート | 藤本譲 | 原田晃 | 楠見尚己 | |
ピーター・ローレ | 永井一郎 | 牛山茂 | 鈴木貴征 | ふくまつ進紗 |
S・Z・サコール | 緒方賢一 | 中村浩太郎 | 茶風林 | |
レオニード・キンスキー | 斎藤志郎 | 飯島肇 | ||
マデリーン・ルボー | 日野由利加 | 小林美穂 | うえだ星子 | |
ジョン・クォーレン | 小室正幸 | |||
リチャード・ライエン | 星野充昭 | |||
グレゴリー・ゲイ | 手塚秀彰 | |||
日本語制作スタッフ | ||||
演出 | 小山悟 | 羽田野千賀子/高橋有紀 | ||
翻訳 | 入江敦子 | |||
調整 | 重光秀樹 | 遠西勝三 | ||
録音 | 山田明寛 | |||
効果 | リレーション | |||
プロデューサー | 久保一郎/具嶋朋子 (テレビ東京) |
椿淳 | ||
制作 | NET(現・テレビ朝日) | テレビ東京/ケイエスエス | ミックエンターテイメント | 東北新社 |
- 日本語版1:1967年10月15日 NET(現・テレビ朝日)放送版
- 日本語版2:2000年3月26日 テレビ東京『20世紀名作シネマ』放送版、正規盤Blu-ray Discに収録
- 日本語版3:パブリックドメインDVD収録版
- 日本語版4:2013年9月16日 スター・チャンネル放送版[3][4]
主な受賞歴
アカデミー賞
- 受賞
- アカデミー作品賞:ワーナー・ブラザーズ
- アカデミー監督賞:マイケル・カーティス
- アカデミー脚色賞:ジュリアス・J・エプスタイン、フィリップ・G・エプスタイン、ハワード・コッチ
- ノミネート
- アカデミー主演男優賞:ハンフリー・ボガート
- アカデミー助演男優賞:クロード・レインズ
- アカデミー撮影賞(白黒部門):アーサー・エディソン
- アカデミー編集賞:オーウェン・マークス
- アカデミー作曲賞:マックス・スタイナー
ニューヨーク映画批評家協会賞
ストーリー
1941年12月、親ドイツのヴィシー政権の管理下に置かれたフランス領モロッコの都市カサブランカ。ドイツの侵略によるヨーロッパの戦災を逃れた人の群れは、中立国のポルトガル経由でアメリカへの亡命を図ろうとしていた。アメリカ人男性のリック(ハンフリー・ボガート)は、パリが陥落する前に理由を告げずに去った恋人イルザ・ラント(イングリッド・バーグマン)と、彼が経営する酒場「カフェ・アメリカン」で偶然の再会を果たす。パリの思い出である『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』が切なく流れる。
Ilsa : "Play it, Sam. Play 'As Time Goes By."
彼女が店を去って再び過去の痛みに苦しむリック。
Rick : "Of all the gin joints in all the towns in all the world, she walks into mine."
彼女の夫で、現在はドイツに併合されたチェコスロバキア人のドイツ抵抗運動の指導者ヴィクトル・ラズロ(ポール・ヘンリード)は現地のオルグと接触、脱出のチャンスをうかがっていた。フランス植民地警察のルノー署長(クロード・レインズ)は計算高い男だが、流れに逆らうように異郷で生きるリックにシンパシーを感じ、かつてスペインのレジスタンスに協力したリックに、ラズロには関わるなと釘を指す。現地司令官であるドイツ空軍のシュトラッサー少佐は、ラズロを市内に閉じ込める。
イルザは、夫を助けられるのは闇屋のウーガーテ(ピーター・ローレ)からヴィシー政権の発行した通行証を譲り受けたリックしかいないと、必死に協力をお願いする。しかしリックは、再び目の前からいなくなってしまう女性を前にして、今でも愛していると本心を打ち明ける。愛情を確かめ合う二人。
Rick : "Here's looking at you, kid."
リックは、ラズロとイルザが通行証を欲しがっている事実をルノー署長に打ち明け、現場でラズロを逮捕するようにと耳打ちする。手柄を立てるために、約束の閉店後の店にやってきたルノーだが、リックの本心は、二人を亡命させるためにルノーを空港まで車に同乗させて監視の目を欺く点にあった。シュトラッサーを射ち殺してでも彼女を守ろうとするリックは、過去の痛みに耐えていた彼ではなかった。
Rick : "We'll always have Paris."
愛を失っても大義を守ろうとしたリックを前にして、実はレジスタンスの支援者であったルノーは、アフリカ内のレジスタンスの支配地域へ逃げるように勧めて、見逃すことにする。
Captain Louis Renault : "Round up the usual suspects."
二人の未来に希望を持たせながら、彼らは宵闇の中へ消えていく。
Rick : "Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship."
名文句
アメリカ映画協会 (AFI)選定の 「アメリカ映画の名セリフベスト100」(2005年)の中に以下のセリフがランクインしている。
- 第5位:"Here's looking at you, kid."「君の瞳に乾杯」[6][7][8]
- 第20位:"Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship."「ルイ、これが俺たちの美しい友情の始まりだな」
- 第28位:"Play it, Sam. Play 'As Time Goes By." 「あれを弾いて、サム。『時の過ぎ行くままに』を」[9]
- 第32位:"Round up the usual suspects.「いつもの要注意連中を一斉検挙だっ」"
- 第43位 : "We'll always have Paris."「僕たちの、心の中には、パリがある」
- 第67位 : "Of all the gin joints in all the towns in all the world, she walks into mine."「世界に星の数ほど店はあるのに、彼女はおれの店にやってきた」
製作背景
『カサブランカ』が製作された1942年はアメリカにおいて映画産業が戦時体制の重要な柱の一つとされた年である[10]。1940年代前半はスタジオ・システムと呼ばれた製作、配給、上映の資本統合が継続していた黄金期である。ハリウッドの映画資本は、政府側の戦時要請よりも利潤追求を優先していたが、第二次世界大戦へのアメリカの参戦により協力体制をとっていくことになる。
この背景には、アメリカ映画の主要な海外市場であったドイツや日本などの枢軸国がアメリカと交戦状態にあった上に、多くの市場がこれら枢軸国による占領により閉された点もある。スタジオ・システムが独占禁止法違反であると裁判で負けるのが確実になってきた点もある。しかし何よりも大恐慌の余波が襲っていた1930年代後半の孤立主義や、『怒りの葡萄』(1940年)のような名もなき労働者への賛歌は終わろうとしていた。
時代の要請により、アメリカ人もヨーロッパへ関心をもたざるを得なくなっていた。また戦争は、大衆の好むメロドラマの枠を広げるには格好の題材でもあった。評論家にも懐疑的な孤立主義者が大義に目覚めていく姿が、アメリカを投影しているとする見方がある[11]。
山本武利や里見脩といったマスメディアと戦争の研究者は、本作とかつて存在した政府機関である戦時情報局(United States Office of War Information(OWI))が主体となった、「ホワイトプロパガンダ」と呼ばれる宣伝工作との関連を紹介している[12][13][14]。
ルーズベルト大統領を中心に政府機関トップを横断した『心理戦局』は、その活動を始め、セクションの一つである陸軍でもジョージ・C・マーシャル参謀総長の強引な命令によりフランク・キャプラが責任者にされた。ジュリアスとフィリップのエプスタイン兄弟も、本作の脚本を途中にしたままワシントンへ移り、プロパガンダ映画『Why We Fight』へ駆り出されている[15]。
大戦後は再びアメリカ映画がヨーロッパ諸国で配給されるが、マーシャルの名前がつけられた欧州復興支援『マーシャル・プラン』により売上をアメリカへ持ち込めなくなった。これも一因としてヨーロッパ・ロケの映画が製作される。『ローマの休日』(1953年)もその一本だが、本来はキャプラが監督するはずだった。戦争中は戦意高揚映画を作らされ、大戦後は冷戦の影響により、1948年より始まった赤狩りの猛威に晒されたハリウッドで、自信を失っていたキャプラは、ハリウッド・テンのドルトン・トランボの脚本と知って、友人ウィリアム・ワイラーへ譲った逸話がある。
リベラル派の多かった戦時情報局(OWI)は、1945年の戦争終了時に国務省に統合されることになる。前述の山本、里見は戦時情報局の沿革と活動について説明しているが、具体的にどのように本作が関連したかについては説明はない。
製作経緯
製作のハル・B・ウォリスは、アフリカを舞台にした郷愁漂うラブ・ロマンスを意図していた。高校教師であったマレイ・バーネットとジョアン・アリスンによる上演されなかった戯曲『皆がリックの店にやってくる』をスクリプトとして、ウォリスはワーナーで製作を始めていく。
監督のマイケル・カーティスはヨーロッパでのキャリアもあるユダヤ系ハンガリー人、カメラ(メイン)のアーサー・エディソンは『西部戦線異状なし』(1930年)でアカデミー撮影賞を受賞しているベテラン、脚本に参加したハワード・コッチは『宇宙戦争』(オーソン・ウェルズによるラジオ放送)に参加した劇作家である。
ハリウッドは、以前からヨーロッパの映画産業から人材を引き抜いてきたが、この時代にも戦地を逃れた思想家、作家、写真家といった多くの人間が集まり、互いに影響を与え合っていたとされる。本作の俳優もスウェーデン出身のバーグマン、オーストリア出身のヘンリードがいる。
イングリッド・バーグマンへの出演オファーは次のようなものだった。 テンプレート:Quotation
ハル・ウォリスが動いている間にワーナー側は主役のリック役をボガートから別の役者へ振り替えようとした。その中にはロナルド・レーガンの名も上がっていたが、会社の動きを悟ったハル・ウォリスは再びボギーを主役に持ってきた[16]。
クランクインの段階で脚本は完成しておらず、書き上げられたシーンを片端から撮影していくという方法が採用された。エプスタイン兄弟はキャプラに引き抜かれる形でワシントンに移りハワード・コッチ一人に責任が負わされることになる。この混乱にボガートはいらついて楽屋でボヤいていた。[17]。
脚本の上がりによって出番が決まるため、ボガートの撮影がないときも珍しくなかったが、「今日の出番は一度だけ、むこうからこちらへ歩いてきて、うなずいてくれればいい」とカーティスから指示された。「それは一体何のシーンで、何に対してうなずくんだ?」と聞いても、カーティスにもそれはわからないということだった。この時撮影されたカットは、リックの「カフェ・アメリカン」で、客たちが「ラ・マルセイエーズ」を合唱するシーンで使用されたと言われている[17]。
ラズロを演じたポール・ヘンリードは、祖国オーストリアやイギリスの混乱にも悩まされていたが、大体亡命しようかと切羽詰まった女連れの男が、映画から出てきたような「白い麻の背広」なんか着る余裕はないだろうといらついて、楽屋でボヤいていた。[17]。
バーグマンの演じるヒロインが、ボガートとヘンリード、どちらと結ばれることになるかも、撮影直前になっても決まらなかった。ヒロインの気持ちがわからないため、監督にどのようになるのか聞いたが、監督は木で鼻をくくったような対応をした。そもそも芸術家タイプに惹かれるバーグマンを、徹底した職人のカーティス監督は最初から嫌っていた。このようなことはバーグマンをして「本当に困った」と途方にくれさせた。結局、二通りのラスト・シーンを撮影して、良い方を採用しようということになったが、先に撮影した方がスタッフの評価も高く、そのまま使用されることになった。これが現在知られているラスト・シーンである[17]。
バーグマンはこの映画を失敗作と考えて、長年忘れ去っていた。1974年にバーグマンがロサンゼルスでの講演に招聘されたが、その講演前にこの映画が上映された。映画が終わり、演壇に立ったバーグマンは「こんなに良い映画だったんですね」と述べた[18]。
リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーとフリーメイソンリー
テンプレート:Main ポール・ヘンリードの演じるラズロは汎ヨーロッパ提唱者で、「EUの父」と呼ばれるリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーを投影しているとする説がある[19]。
リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーは1922年にフリーメイソンになった[20]。
その他
- アメリカの第二次世界大戦参戦とともに、親独のヴィシー政権は「敵国」となり、ヴィシー水の輸入も禁じられたため、この作品に登場するヴィシー水のボトルは、ロサンゼルス近辺のホテルに残っていた空き瓶が用いられた[17]。
- 主人公リックが、悪役であるドイツ軍のシュトラッサー少佐を射ち殺すシーンは、当初背後からだったが、「背後からでは卑怯だ、堂々と正面から撃て」と政府による検閲が入ったテンプレート:要出典。現在に残るフィルムでは、確かにリックは正面からシュトラッサーを撃っている。
- 映画のテーマ曲『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』[21]は、音楽を担当したスタイナーの作曲ではなく、ハーマン・フップフェルド (Herman Hupfeld) がステージショーのために、1931年に作詞・作曲した古い流行歌を取り上げたものである。*『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』と並んで劇中で演奏される『イット・ハド・トゥ・ビー・ユー』"It Had to Be You" は、ロブ・ライナー監督映画の『恋人たちの予感』(1989年)で引用される。 "It had to be you It had to be you I wandered around and finally found "(君だったんだ、探していたのは…)のフレーズは古典中の古典であり、フランク・シナトラのメドレーナンバーでもある。ハリー・コニック・Jrによる映画のサントラは、世界中で大ヒットし、この年のグラミー賞(最優秀男性ジャズ・ヴォーカル賞)を獲得した。前述の映画主題歌ベスト100(2004年)の60位である。
- ワーナーブラザーズ社が、この映画のパロディー作品を、ルーニー・チューンズで作っている。ストーリーも、酒場で会うとなっていて、「君の瞳に乾杯」「君だったんだ、探していたのは…」「世界に星の数ほど店はあるのに、彼女はおれの店にやってきた」「あれを弾いて、ダフィー(ルーニー・チューンズの登場人物)。」も登場する。しかし、やはりいろいろオリジナルと相違点がある。例えば、逃げた理由を手紙で、「私たちは違いすぎる」としっかり告げている。タイトルは「キャロットブランカ」。
著作権
本作は、作品中に著作権表記があるものの公開時期が古く、リニュー(著作権更新手続き)が行われなかったことから、公開当時のアメリカの法律(方式主義)により権利放棄とみなされ、アメリカにおいてはパブリックドメインとなった。
DVD・BD
ワーナー・ブラザーズは、オリジナル・ネガフィルムから製作したデジタルリマスター版の正規盤DVD・BDを、ワーナー・ホーム・ビデオから発売している。
また、日本では著作権の保護期間が完全に終了(公開後50年と監督没後38年の両方を満たす)したことから、パブリックドメインDVDも複数の会社から発売されている。
ミュージカル
2009年11月 - 2010年2月には、宝塚歌劇団宙組の公演により、世界で初めてミュージカル化された。脚本・演出は小池修一郎、主演は大空祐飛。
主要キャスト
- リック(リチャード・ブレイン):大空祐飛
- イルザ・ランド: 野々すみ花
- ヴィクトル・ラズロ:蘭寿とむ
- サム:萬あきら(退団公演)
- フェラーリ:磯野千尋
- カール:寿つかさ
- コリーナ・ムラ:鈴奈沙也
- シュトラッサー少佐:悠未ひろ
- ルノー大尉:北翔海莉
脚注
関連項目
- カサブランカ
- マルクス捕物帖(原題:"A Night In Casablanca") - マルクス兄弟による当作品のパロディ映画。1946年制作。
- 忠臣蔵 音無しの剣
- 紅の豚
- ハバナ (映画) - “90年代版カサブランカ”と言われる映画。
- カサブランカ・ダンディ - 沢田研二の楽曲。歌詞に『ボギー(ハンフリー・ボガートの愛称)』が登場する。
- ボギー!俺も男だ - 当作品のパロディとなっているウディ・アレン作の舞台劇およびその映画化作品。1972年制作。
外部リンク
- Hollywood at War -Casablanca- by Kristin Soroka, University of San Diego
- Film History of the 1940s
- テンプレート:Movielink
- テンプレート:Movielink
- テンプレート:Movielink
- テンプレート:Movielink
テンプレート:アカデミー賞作品賞 1941-1960 テンプレート:マイケル・カーティス
テンプレート:Link GA テンプレート:Link GA テンプレート:Link GA
- ↑ テンプレート:Cite journal
- ↑ なおアメリカは、自らが第二次世界大戦に参戦する以前の1940年にヴィシー政権を「フランスを代表する正当な政府」として承認し、当時の「仮想敵国」であるドイツを牽制していたが、1941年12月のドイツとの開戦後はヴィシー政権を「ドイツの傀儡政権」と見なし断交するに至った。また、ルーズベルト大統領や彼のスタッフは、当時北アフリカで自由フランス軍を率いていたド・ゴールを「選挙で選ばれたわけではないのに指導者として君臨しようとしている」としてまったく信頼していなかったが、ドイツとの開戦後は上記のように「自由フランス」を「フランスにおける正当な政府」として認めるに至り、1943年1月に行われた「カサブランカ会談」においては正式にド・ゴールを「フランス政府を代表する人物」として招へいしている
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ なお、第8回ニューヨーク映画批評家協会賞でボガートは、本作と並行して『パナマの死角』という作品でも候補に上がっている。
- ↑ 配給会社がつけたキャッチフレーズ神戸広域エリア情報
- ↑ DVD, ワーナー・ホーム・ビデオ, DLT-56237, カサブランカ 特別版(日本語字幕/英語字幕)
- ↑ 書籍情報: ISBN 4872349822, p.103
- ↑ "Play it again, Sam."と誤解されているが、実際には"again"とは言っていない。
- ↑ 岩崎昶の「映画史」年表より
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 東京財団研究報告書2004−10「日本の対外情報発信の現状と改革」53ページ[1]
- ↑ オットー・フリードリック『ハリウッド帝国の興亡 - 夢工場の1940年代』(文藝春秋、1994年3月)
- ↑ 『ハリウッド100年』水野晴郎
- ↑ 17.0 17.1 17.2 17.3 17.4 ハワード・コック『カサブランカ』東京新書館
- ↑ 田中小実昌『超時間対談』(集英社、1981年)
- ↑ "テンプレート:Cite bookテンプレート:Cite bookテンプレート:Cite book" 等に本説の記述がある。ヨーロッパ統合運動の展開を研究する戸澤英典(東北大学教授)は、本説の確証を得ていない(戸澤の運営サイト「RCK(リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー)通信」より)。「Ilsa Lund」の名は、著名な女優であったリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーの夫人の「Ida Roland」(イダ・ローラン)に由来するとみる説がある。ただしイダは1940年初夏の米国渡航時に59歳、映画上映の1942年11月に61歳。またリヒャルトがイダと結婚した時にイダには連れ子(エリカ)がいて、エリカはクーデンホーフ=カレルギー家の養子になった。
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 「時の経つまま」「時の過ぎゆくままに」と訳されるが、誤りで、実際には「時が経っても」の意