エモマリ・ラフモン
エモマリ・ラフモン Эмомалӣ Раҳмон | |||
ファイル:Emomali Rahmonov 2001Nov03.jpg |
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任期 | 1994年11月16日 – | ||
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出生 | テンプレート:生年月日と年齢 クリャーブ州ダンガル地区ダンガル市 | ||
政党 | タジキスタン人民民主党
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エモマリ・ラフモン(テンプレート:Llang(ラテン文字:Emomalī Rahmon)、テンプレート:Llang(ラテン文字:Emomali Sharipovich Rakhmonov)、1952年10月5日 - )は、タジキスタン共和国の政治家。同国大統領(1994年11月16日 - )。タジキスタン人民民主党党首。
エマムアリ・ラフモンとも表記される[1]。
経歴
1952年10月5日クリャーブ州ダンガル地区ダンガル市出身。(今日のハトロン州クリャーブ市)。1971年、クルガン・テッパ市のバター工場の電気技師として働く。1971年から1974年まで、ソビエト連邦軍に勤務。除隊後の1975年バター工場に戻る。1976年から1988年、クリャーブ州ダンガル地区のコルホーズの管理部書記、労働組合議長を務め、後にタジクスタン共産党で働いた。1982年、タジク国立大学経済学部卒業。1988年6月から1992年までダンガル地区のソフホーズの議長。1992年12月、クリャーブ州人民代議員会議執行委員会議長に選出。1990年から1995年までタジキスタン共和国最高会議議員。
タジキスタン内戦中に、クリャーブ地方の政治勢力を背景に台頭し、1993年11月19日、第12期タジキスタン共和国最高会議において、最高会議議長に選出。1994年11月6日、タジキスタン共和国大統領に選出され、同年11月16日に就任した。1997年6月27日、内戦当事者であるタジク野党連合(UTO)のサイイド・アブドゥッラー・ヌーリー(イスラム復興党指導者)と和平協定に調印し、タジキスタン内戦を終結させた。
1999年11月7日、憲法修正に伴い、7年の任期で大統領に再選。 2003年6月22日の憲法改正により、2020年までの大統領任期の延長を可能にした。 2006年11月6日の大統領選挙で3選を果たした[2]。
2007年4月14日、自らの姓からロシア語風の接尾辞を取り、エモマリ・ラフモノフ[3]から、タジク語風のエモマリ・ラフモンに改名した[4][5]。
政権初期には、大臣のポストをUTOに割り当てるなど、反対派勢力に一定の配慮を行っていたが、徐々に権威主義的な傾向を強めているとされる。反対派は、同大統領が独立系メディアに圧力を加え、反対派リーダーを投獄したと批判している。
人物
タジク人。妻帯者であり、9子を有する。娘のオゾダ・ラフモン(オゾダ・エモマリ)は、2009年9月から外務次官。